☆みなさんさん聞いてください!☆

ー子どもたちの実情を見据えた書字指導を目指してー


子育ての過程で、入学以前における書字学習、書字指導のあり方に疑問を抱いた。その頃4,5才であった子どもたちはもう30代。早くも4半世紀以上経っている。

その間、大学や高校の恩師、先輩らのお力添えをいただき、私の実践や思いを活字にしていただいた。それらを読み返してみて、「当初抱いた疑問は解決したのであろうか?」と振り返ってみた。答えは否である。

「入学以前に文字を書かせること」についての根本的な議論はなされていない。相変わらず、幼児の教育界では、取り立てた指導は必要ないと思っているようである。そして親は、「ひらがなは書けるようにしてから入学させたほうがよい」と思っている。

文字環境が良い家庭では、自然に文字を覚えるであろうが、すべての家庭が自然に文字を習得できるような環境にあるわけではない。

文字に興味を示さない子どもの親は、年長後半にもなると、あせって(無理矢理)字を書かせるようになる。他方、自発的に文字を書き始めた子どもに何の手だてもせず、好きなように書かせていると、入学後の姿勢・執筆、筆順、字形の修正に困難をきたすことがある。

幼児教育では「文字については積極的な指導は行わない」といい、小学校では「入学後の書字レベルに差がありすぎて、指導が困難」という。その間で書字行為は右往左往している。

また、依然として、幼児期の知育教育は盛んである、とくに「もじ・かず」がその中心のようである。それはまず、文字や数字を書くことから始められる。知育教育では、筆記用具は必須アイテム。子どもたちは鉛筆がうまく使えないことに苦戦しているのであるが、指導者や親はそのことにはあまり注意を向けていない。

その結果、入学後の書字困難児はさらに増えていると思われる。

早くから知的な教育をすることがよいのかどうかは私にはわからない。しかし、させるのであれば、「書く」という行為には、もっときちんとした考えと方法があって然るべきと思うのである。



★ちょっと気になる子★   2013.2.28  

幼児期に書写指導を集団でおこなう際に困難なことに、「ちょっと気になる子」(幼稚園などでは、発達に障害のある場合、このように表現するらしい)の範疇がある。発達的に未成熟であるのか、どこかに欠陥があるのかがわかりにくい。

「ちょっと気になる子」たちは、自由に自分のルールで文字を書いているときには、とくに問題がないのであるが、姿勢や持ち方、字形の修正を行おうとすると、パニックを起こす。たぶん、想定外のことをさせるからであろう。そして、席を離れたり、暴れたり、プリントに落書きのように線を書きなぐったりする。

その行為自体は、甘やかされてわがままに育った幼児や、好きでもないこと(書写の学習)をさせられる時に見られる幼児の行動とあまり相違はない。しかし、興味関心がない、やる気がないという幼児には、あの手この手がさしのべられるが、「ちょっと気になる子」の場合はそれが通用しない。一端心を閉じてしまうと、何を言っても通じないのである。

私の場合、2週間に1度しか幼児への書写指導を行っていないので、この「ちょっと気になる子」であるかどうかの判断がうまくできないので、いまのところ積極的な指導ができていない。しかし、ここはきちんと解決しておくべきことであろう。

今、思い返すと、過去にもそのような子どもが何人もいたが、私はそのような子どもへの特別な支援の方法を知らなかった。保護者はどのような気持ちで自分の子どもの書字を見ていたのであろうか?

小学校に入学して、ほとんどのことを集団でおこなうようになれば、「ちょっと気になる子」であるかどうかの判断がしやすくなるのであろうが、幼児の場合はわかりにくいし、親も気付かないことが多いようだ。それでも、近年はこのような幼児に対する支援の書物は多くなっている。しかし字を書く行為においてはまだまだ解明されていないのではないか。そのために、幼児期に無理な書かせ方をさせている場合がきっと多々あると思う。

音楽教育は幼児期にも肯定的に研究が行われているようで、発達障害児への配慮なども具体的に出されている。文字は就学後の必須事項であるのに、取り組みすらないのはどういうことであろうか。



★「発達段階に応じた指導」って??★   2012.9.24  

このところ、「発達段階に応じた指導」ということに関心がある。

書写教育においてもよく使われているが、みなさん「発達段階」をどれだけ把握しているのやら…、かなり安易に使っているとしか思えない。

幼児期における文字指導は、依然として水面下で行われている。その分、実態が公開されにくい。だから、書字の発達段階は把握しにくい。近年の学者は、幼稚園や保育園で文字を書かせ、それを分析しては論文にしているが、その実態の因果関係まではわかっていない。それゆえ、「・・・のようなことが今後必要と考えられる」と締めくくる。(それをだれがやるんかいっ!!!)

文字やことばを“書く”ためのワークブックは、かなりの幼稚園や保育園が使用しているが、「入学前には系統立てた指導は行わない」つまり、各幼稚園で、「それなりに書かせる」ということで、親に対しても、幼稚園の指導要領に対しても義理立てを果たしている気になっているのではないだろうか。

幼児教育に携わる学者は、「入学前には教えない方が良い」という。特に教えるのではなく、個々の幼児の自発的な興味関心に任せて、適宜支援をせよということであろうが、この“”適宜”がクセモノ。

自発的に文字の読み書きを始めた子どもの親は、それをどのように高めて良いかわからず、くもんなどの学習教室へ入れる。それを知った、読み書きに関心のない子の親は不安になり、やみくもに文字の読み書きを教える。

いずれにしても、入学前の書かせ方が、入学後の書字にはプラスに働いていないことは、教育や心理の学者の報告に多々見られる。

とりあえず字は書けているというレベルで入学はしたものの、速く書くと字が汚くなる。長い時間書くことができない。いつまでも姿勢よくならない。鉛筆の持ち方がヘン、などなど…

その現象を、学校では「入学前に書かせるからだ」といい、幼稚園では、「きちんと教えるのは学校の役目でしょ。」という。「まだ字に興味がないから、学校に行ってから指導してもらえばいいだろう」と思っていた親は、入学後の学習ペースの速さにわが子はついていけなかったと嘆く。

「いつ、何を、どのように学習させたら良い」という、発達段階を踏まえた書字の研究は誰もしていない。

書字における発達段階って何だ!?

熟知している研究者がいたら名乗りを上げて欲しい。



★書く力★   2012.5.24  

学力における「書く力」あるいは「書きの能力」というと、書字技能と表記力のどちらが一般的であろうか。

「書く力」が優れている、あるいは「書き」の能力が高いというと、それは国語的な、漢字を書く力であり、文章を書く力であろう。どれだけ多くの漢字が適切にそして正確に書けるか、どれだけ優れた文章が書けるかといったようなことが「書く力」としての評価であろう。学校教育では、書写の学習が国語科に含まれているためか、書写力の育成としては、「正しく書く(表記する)力」であり「目的に応じてわかりやすく書く力」である。「速く書く力」ということも挙げられるが、それは行書という書き方の指導項目の大きなポイントになっている。きれいな字=書字技法というイメージなのか、学校教育での「書写」の授業は技法習得に時間をかけない。

書写・書道に携わる学者たちは、「書写」と「習字」は違う。学校教育での書写は書道教室と同じであってはならない。という。しかし、現実には書字困難児の多くは書写技能の習得が十分でない。

単独文字の習得は、ほとんど文字プリントによって、なぞりを何度か繰り返した後、マス目に書く、うまく書けていない文字は、先生がその文字の上を赤ペンで訂正する。訂正の入った文字は一旦消しゴムで鉛筆の文字を消し、赤ペンの上をなぞる。これが、多くの学校で行われている指導および学習の方法である。

機械的なこの作業でよいのだろうか?直感のすぐれている子はそれで良いのかも知れないが、なぜ訂正されたのか、どんなところに原因があるのかということがわからない子は、また同じような字を書く。原因もいろいろとあろう。字形の見方が曖昧な場合もあろうし、鉛筆の持ち方が原因の場合もあろう。最初の段階での工夫の余地はもっとあるはず。入学前にヘンな書かせ方をしたから・・・と、責任を転嫁せず、ワクワクするような授業で基礎力を支援してほしいものである。

これは、幼児向けのドリルも同様である。「書字技法習得」のための“あの手この手”がない。やはりなぞりを繰り返した後にマス目に書くだけである。文字の形に注意を集中させたいと思っても、そのまわりに絵があり、子どもはそちらに気をとられる。たとえば、 “あ”という字を書きましょう、という時に“あひる”とか“あり”“あめ”などと“あ”のつくことばも一緒に提示すると、幼児の場合、発想が字形から言葉へと飛躍してしまう。頭の中は、動物園で見た“あひる”や道ばたの“あり”、同音異義語である雨と飴、と次々と連想して、字形への関心が薄れていく。

こうして、書字技法の習得から遠離ってしまうのである。

「書く力」って・・・???



★聞く力★   2012.5.24  

『発達障害と向き合う』という最近読んだ本にも、いろいろと興味深いことが書かれていたのであるが、その中に次のようなことが書かれていた。人間がものを学ぶときに必要な力は、1、聞く力 2、話す力 3,読む力 4、書く力 5,計算する力 6,推論する力の順だという。これは学説ではなく竹内氏の個人的な意見のようであるが、私は賛同したい。近年「聞く力」の低下は著しいのではなかろうか。聞くに値しないことが多すぎるのか、聞きたくないことが多すぎるのか・・・とまれ、竹内氏がここで言われている「聞く力」というのは、「傾聴」ではなく「記憶」とのこと。

子どもたちが「聞いています」というのは「聞こえています」であって「聞き留めている」のではないことが多い。「きちんと聞く」というのが竹内氏のいう「記憶」であろう。幼児の場合、「聞く力」がないという現象は、「興味がないため聞く気力がない」場合と「聞くという知的機能が弱い」場合があり、この違いがわかりにくい。しかし、判断を誤ると大変である。

入門期の書字指導でもこの点は注意深く行わなくてはならないという論文も読んだ。

市販の幼児向けの文字教材は「なぞる、視写する、そして多く書く」という方法が一番多い。幼児は大方この教材のメソッドで習得する。「聞いて理解して書く」という手順はない。

唯一該当するとすれば、習字教室での硬筆指導である。習字教室は、字のうまい先生が目の前で書いてみせるので、遅速緩急がライブで見られる。また批正もその場で行われるので理解しやすい。ただ、残念なことは先生が教育者として素人であるため、効果的でないことが多い。自分の腕を過信して、アノ手コノ手を考える人が少ない。「書くところをよく見て」というアドバイスしかできず、書くことが苦手な子は食いつきが悪い。だから、「習字教室では、硬筆はあまりうまくならない」といわれる。(勿体ない)

幼児の発達の過程では、まず模倣、つまり見て真似をすることから学習が行われるようである。文字の習得も、親や年長者の模倣によって行われるのが自然な発達のようだ。しかし今の時代、親は携帯は握って離さないが、鉛筆は持たない。模倣の段階の文字環境が良くないい。その次の段階の、「なぞる、視写する、そして多く書く」は、ドリルを与えるので途中の書字状態を見なくなる。どこで躓いているかが把握されないため、書字困難児の救済も遅れる。

書字学習における「聞く」学習は必要ではないか。指導者がわからすると、子どもの表情を見ざるを得ない。うまく聞かせないと、騒ぐし、結果も出ない。両者が向き合うには都合がよい。指導者は手も気も抜けないのではあるが…

余談ではあるが、経験的に言わせてもらうと、話を聞かない親の子は、やはり話を聞いていない。しつけの問題か。

そして、結局、書き方の基本を習得できず中途半端な結果となっている。

才能がないのでもなく、能力が低いのでもなく、聞く力がないためにきちんと習得できない子どもは多い。


★再度 書字困難児★   2012.5.24  

これまで私は、「私の役割は書写技能をよ無理なく、短期間に習得させること」と、ひたすら運筆指導、執筆指導の工夫をしてきた。
しつこいようだが、書字が困難な幼児や児童は、多くの場合運筆・執筆に問題がある。
しかし、書字困難児はそれだけが原因ではない場合もあるようだ。運筆練習がある程度の段階に到達したら、筆順や字形の指導を行うのであるが、聞く力、理解する力が弱い子どもがいる。それは、子どもの家庭環境や知能によるものだろうと思っていたが、どうもそれだけではないようだ。
昨年ころから「発達障害」の本をいろいろと読んだり、専門の先生に話を聞いたりしている。(近年はこの手の出版物が非常に多いので、読み方は慎重にしている)とくに「発達障害と文字」についての情報ができるだけ多くほしいので、あれこれと伝手を頼りに資料をいただいて読んでいる。

これらの本には、健常者の基準がきちんと提示されている。「○さいころには、このようなことはできる、しかし発達に障害がある場合は、このような状態になる」というように。書字については、私の永年の経験から導き出したことと一致することが多く、安心もしたが、まだまだ把握できていなかったこともあり、子どもたちそれぞれの発達に応じた指導の工夫の余地は、まだまだたくさんあるなあ、と思った。

発達がゆるやかであるという認識のある子どもたちのことに携わっている人たちは、発達の基準というものをしっかりと把握されている。それにひきかえ、「フツウ」と認識している環境では、すべてを個人の努力不足で括っている。要反省。


★書字困難児★   2012.5.24  

書字に関する論文によると、「書字困難児」という言葉があるようだ。文字通り書字が困難な児童ということであるが、その原因は先天的な発達に問題がある場合と、後天的、つまり書字の方法に原因があって書字が困難な場合があるようだ。

私の経験からも、両者がある。しかし、5,6才児の場合、この見分けはとても難しい。小学校1,2年生になると何となくわかる。が、しがない巷の書写・書道教師には、あまり立ち入ったことが聞けないし、専門家ではないので、対処の方法もわからない。

経験的には、後天的な、つまり書かせ方が悪いために書字困難に陥っている場合が圧倒的に多い。論文にも、1年生の終わり頃になると多くの子が直る症状はいくつもあるようなことが書かれていた。いつまでも直らないのが姿勢や持ち方、筆順等という指摘があったが、これは指導の方法、指導者の根気のなさと思われる。つまり、大多数の書字困難児は発達障害と言われるような症状などではないと思う。

どちらにしても、書字行為の研究は必要であり、また、書字方法によって直せるものならば、積極的にその方法についての情報は伝えなくてはならない。

何度も繰り返すが、入学以前の知的教育の是非はわからないが、入学以前からすでに書字行為はなされている。その中に問題が潜んでいるなら、そこをもっと追究すべきなのである。

「早くから文字を書かせるから、云々」ということは、学校教育の方から嫌と言うほど聞いた。しかし、「入学前に書かせるなら、このような方法で書かせてください」という提示はない。一体どこに責任があるのだろうか? もしかして責任をなすりあってる??


★鉛筆ホルダー はなまるくん 再度★   2012.5.20  

この鉛筆ホルダーが良いのは、固い割には、指の動きに負荷がかかりにくいからである。尾崎康子さんの本『幼児の筆記具操作と描画行動の発達』に、鉛筆(筆記具)の操作(うまく持つ)のためには、発達段階としての指動(指の関節がうまく動くこと)が条件である、と書いてある。この条件が満たされない状態で、鉛筆の持ち方を指導するのは効果がない、と言われる。

「そのとおり!!」そして、このはなまるくんは、“指動”の発達を比較的妨げない。だから、オススメ。

さて、この“指動”の個人差が問題。そして、“指動”を促進させるような誘導が必要。

結局、今の子どもって不器用だから、鉛筆が持てないのであり、そのことにはあまり対応しないで、本の知識で得た持ち方をできない段階で押しつける。あるいは、指導者に「なんできちんと指導してくれないのか」と文句を言う。という悪循環。

ちなみに、うちの教室では、はなまるくんをわしづかみにしている子もいますし、中指を所定のくぼみにいれず、人差し指の横に添えている子もいます。最初はそれでいいんです。はなまるくんをつけることで、鉛筆の直径が太くなった分、使いやすくなりますから。


★鉛筆ホルダー はなまるくん★   2012.5.14  

静岡浜松市にある、エルプラスさんの鉛筆ホルターである。1980年に製品の開発をされ、その後も改良を続けられている。

鉛筆ホルターはいろいろと市販されているが、エルプラスさんの鉛筆ホルターが幼児の小さな手指にうまくフィットするし、使用方法も簡単である。

鉛筆の持ち方が書字上重要であること、しかしなかなかうまく持てない事情をHP(http://erupurasu.co.jp/index.html)でわかりやすく説明しておられるので紹介したい。(無断掲載・編集をお許しあれ)子どもは柔軟であるがゆえに”おかしな持ち方”も容易にできます。子ども自身が自分の不便さに気づくこともありません。 手には末梢神経が集中しており正しく刺激されることにより脳が活性化されます。長期的に身体の一部に余分な負担をかけると身体全体にゆがみが生じ、悪影響をおよぼすことになります。ですから早い時期に正しい持ち方を身につけることは急務とも言えるのです。 幼少から鉛筆を持つ機会が多い現代において”おかしな持ち方”をしている子ども達への指導・継続はより困難を極めています。それに気づかれた諸先生および保護者の方々が正しい持ち方を指導するのは大変な労力と時間を費やさなければなりません。 当社の製品は、わずかな指導で短期間のうちに正しい持ち方を身につけるための教具です。  そのことを子ども自身が容易に体験・実感・意識し定着させ、鉛筆を指先の一部にするという”一生の宝物”をプレゼントする一助になれば幸いです。

現代の子どもは、幼少時代から筆記という行為を行います。子どもは正しい持ち方を教わることなく自己流に器用に描き続けます。ただ残念なことにその時期すでに誤った持ち方を身に付けてしまうことが多いのが現状です。 そして、小学校に入り”学ぶ”という年代になった途端に鉛筆を正しく持ち、形を整えてきれいな字を書くということが求められるようになります。 さらに学年が上がるにつれ「文字を正しく整えて早く読みやすく書く」ことが必要不可欠になってきます。  昔のように大家族の中で、厳格な親の教えをうけて育てられるというより、今は核家族で共働きの形態が多く見受けられます。ですから、子どもの鉛筆の持ち方にまで目が行き届かない、手がかけられないという現状は仕方のないことなのかもしれません。 しかしながら、近未来どんなに文明が発達しても”書く”という行為がなくなることはないでしょう。 したがって、なるべく早い段階で鉛筆には”正しい持ち方”があることを教え、身につけることは大切なことなのです。  一生の中で、人前で字を書く、あるいは字を見せる場面は幾度となくおとずれます。 鉛筆を持つ仕草、その文字の美しさはその人を何倍も輝かせることでしょう。はなまるくんを使用した当初は、子どもたちから「持ちにくい」「力がはいらない」などの声があがるかもしれません。それは誤った持ち方で過ごした期間があるためにおこることです。正しい持ち方を身につけるための通過点としてご理解ください。また、はなまるくんを確実に装着しているにもかかわらず、はずれてしまうことがあります。それは不自然に力が入っていることが原因です。鉛筆は「軽くもち・やさしく書く」ことが大切なのです。子どもたちに誤った持ち方からおこるさまざまな「負の遺産」を残すことのないよう、あたたかい目で見守りご指導ください。効果 ○筆勢のあるよい字が早く書けます。 ○指・手首・肩・首筋・目への負担が軽減され、長時間書いても疲れを感じません。 ○姿勢が良くなり書くことが苦痛でなくなるため、集中力が養われ学習意欲が高まり、最終的には学力の向上につながります。

私の子どもたちへの思いとピッタリ。
お目にかかってお話聞きたい~! お礼も言いたい~!

エルプラス・鉛筆ホルター で検索してみてください。


 
★年中児の体力差★   2012.5.8  

S幼稚園では、年中児への運筆指導にとりくんでいる。

幼稚園で書写の指導をするべきかどうかは各園での裁量。S幼稚園では、文字を書かせることに重点を置くのではなく、入学後に文字をより良く書けるようになるための支援として、運筆練習に取り組んでいる。けっして先取り教育ではないが、結果的にはかなりの書写力が身についている。

毎年、年中の最初の運筆練習では、私が模範授業をする。30分でプリントは2、3枚。縦線と横線の練習。なぜこのように時間がかかるのかというと、説明と示範に時間がかかるからである。始筆、送筆、終筆の理解。書写速度の体得。幼児が、意図的な線をひくということを理解するには、視覚的な理解として、必要以上にゆっくりとした示範が必要。なぜなら、幼児がふだん行っている図形を書くという行為とは異なる作業であるから。また、「おもしろそう」「やってみよう」という意欲への工夫がいる。一見、簡単な作業に見えるから導入の時点で失敗すると、勝手にはじめてしまい、その結果うまくいかず、「こんな簡単なことができなかった」という挫折感から、わざとふざけたり、わざとぐにゃぐにゃの線を書いたりする。決して少ない人数ではない。子どもなりに簡単なことができなかったという屈辱の回避である。

B4の用紙いっぱいにまっすぐな線をひくこと、つまり30㎝以上の長さの線をひくことは、意外と難しい。ほとんどの幼児が初体験。腕が動かなかったり、姿勢が悪いと短い線になってしまう。

長い線をひのには気力と体力がいる。「始筆、送筆、終筆」を意識して書くためには、速度の加減をしなくてはならない。線を平行に何本も引くためには集中力も必要。

朝ご飯をきちんと食べていない子は、すぐに疲れてしまう。また、集団で遊ぶ習慣のない子は、話を聞きながら作業をするということができにくい。食欲も遊びもみんな体力に繋がる。

体力の違いで到達度も変わる。字を書くことは、運動機能を使うからである。良い字を書かせたいなら、よく遊び、よく食べることを心がけさせよう。


 
★書き方体操のススメ★   2012.5.2  

昨年は、鉛筆を持つ前に“書き方体操”をはじめた。文字は書けるのだが、きちんとすわれない子どもが、年々目につくようになったからである。座れもしない子に文字を書かせている状態になっている。これは、身体の発達の原理に反している。

子どもの身体の発達において、指先の運動は最終段階。きちんと座れない子は、最初の発達の段階が未熟なわけで、姿勢・執筆の指導どころではない。

そのような子も、字を書かされている。

入学後に気になる、字を書いているときの姿勢の悪さは、きちんとすわることもできないのに、文字を書かせた結果。

“書き方体操”はとても効果がある。どんなことをするかというと、上半身の筋トレ。両手をあげて「万歳」のままで10数える、そのまま「前へならえ」をして、また10かぞえるまでガマン。とにかく、うでを机に置いたり、体に付けないようにする。腰だけで上半身を支える。腕を方より上に上げることで、上腕の筋肉を付ける。これができるとうまく座れるようになり、腕も良く動くようになる。つまり、姿勢良く書けるようになるというわけ。

最初から上半身がちゃんと発達している子は、すぐに正座ができるようになるし、運筆のコツもすぐにつかむ。

年長になっても、肘をまっすぐにのばせない子がいる。骨も筋肉も十分に育っていないのだ。運筆力が悪いため、乱暴な書き方になるか、ぎくしゃくしたいわゆる折れ釘のような字をかいている。時を待つしかないのか。


 
★早くから字を書き始めると、その分だけ早くうまくなるか?★   2012.4.26  

年少組の園児の保護者から、書き方教室についての問い合わせがあった。

文字が読めるようになったし、書くことにも興味があるので、書き方教室に通わせたいとのこと。

母親が言うには、4月生まれでもあるから、充分ついていける、と。

確かに年少の4月生まれと、年中の3月生まれでは1ヶ月しか差がないわけで、年少と年中の間で線引する理由はないのかもしれない。しかし、うちの教室は集団指導である。どこかで線引をしなくては成立しない。申し訳ないと思ったが、ご遠慮願った次第。

実際に指導しても、同じ学年で4月生まれと3月生まれとでは、理解力にも気力にも差がある場合が多い。しかし、生まれ月の差だけが、書写能力の差とはならない。文字への好奇心、手先の器用さ、心身の発達…結構いろいろな要素に左右される。

とくに、幼児期にはきれいに書けることの必然性がないので、何度も繰り返し書く段階で飽きてしまい、雑な字を書くようになる。それが書き癖として定着してしまっては、早期教育も意味がなくなる。

早くから字が書けることは、様々なメリットにつながる。しかし、早くから字を書き始めると、その分だけ早くうまくなる、ということは、長年の経験からすると、残念ながらYESとは言いかねる。

大事なのは、やはり入学後の書字のあり方である。



久米公氏が「書写力低下の構図」を提示されたのは何年前のことだろうか。

私はそれに触発され、「幼児期の書写力低下の構図」を考えたのであるから、きっと30年くらい前のことであろう。

この構図は今、さらに複雑になってきている。もういちどこの構図を構築しなおして、書写のあり方を考えなくてはならないと思うこの頃である。