☆私だって本音が言いたい!!!☆



ーおかあさん、先生、そして偉そうに論文を書いているセンセイ諸氏!、へー


希望や期待というフィルターを通して子どもを見ていませんか?

小学校はなぜ7才から始まるようになったか、知っていますか?

「ワカリマシタカ?」「ワカリマスヨネ!」なんて子どもにきかないで。

子どもたちは「ワカンナイヨ~」とも言えず黙りこくっていると、「ドウシテオ返事ガデキナイノ!!」と怖い顔。仕方ないから「ワカリマシタ」と、とりあえずうなずく。そうすると、大人は優しい顔になる。

小難しい論文を書いて悦に入っているセンセイ。データを見ただけじゃあ見えないモノがあるんです。アンケートや1,2回の実験の分析では、傾向や状況の分析はできても、解決方法は見えないでしょ。

幼児にだって誇りがあります。意地もあります。できないことを要求して、心をズタズタにしているのは、オトナ!!




★持ち方や運筆は幼児や一年生のためにあらず★   2013.6.21 

 ★こんな方と運筆の話で盛り上がりました★の後日談です。
Hさんの教室の見学をされたSさんからのメールです。「日曜日にH先生のお手伝いで、子供たちの英検の試験に立ち会いました。そこで初めて、今の子供たちの実態に触れ、驚きました。 まともにペンを持てない私が言うのも何ですが、鉛筆を正しく持っている子供が、私が立ち会った中には一人もいませんでした。(十数人の内)先生方のご心配のほどが、素人の私にも、よく分かり、何とかH先生のお手伝いができるようにならなければと意を新たにしました。」

 I大の書写の先生も、「ほんとうに持ち方や運筆力が必要とされるのは、中学前後から。多くの文字を書かざるを得ない(試験など)状況になってからです」と言われる。、

かつて、持ち方がとても悪い書道専門の大学の学生諸姉(これがけっこうな人数なんですわ)に、「書道を専門にしているのにどうしてそんな持ち方で平気なの」というと、「だってこの方が書きやすいから」と、堂々たる返事。まあ、書道って、パフォーマンス以外はライブじゃないですからね。提出した作品が評価されるのですもの。どんな姿勢で書こうと「みっともない」といわれることはないのです。
でも、これが社会に出て人前で字を書くと言うことになると、結構冷たい視線で見られるんです。容姿はきれいだけと、作業姿(姿勢)が美しくない、と。

 話がそれた。何が言いたいかというと、書道科の学生さんは概して多くの字を書いていない。(だって勉強が嫌いで書道を選択した子が多いから。実はわたしもそうでしたもの)書道雑誌に出品するくらいの書写量では持ち方なんて、あまり左右しませんわね。とやや嫌味な私。
 学生の頃、あるいは社会人になって字を書くと腱鞘炎になってしまうような人は、やはり「書写フォームに難有り」だったのでしょう。

そうそう、昨日図書館で、発達障がいの月刊誌を読んでいたら書字困難児は英語学習でも苦労をしている。という投稿がありました。その中にもやはり書写速度と手指の巧緻性についてのことが書かれていました。執筆、運筆の課題はまだたくさんありそうです。



★こんな方と運筆の話で盛り上がりました★   2013.6.10 

先日、見知らぬ人からメールをいただきました。「運筆についてお話を伺いたい」とのこと。「文字の書き方、書かせ方について話が聞きたい」とか、「姿勢・持ち方について教えて欲しい」というのならわかりますが、知りたいのは「運筆」だという。

私はなぜそれが知りたいのか、その理由が知りたくて「書写書道関係の方ですか?それともお子さんが文字を書かれるようになったからでしょうか?」と逆に質問をしてみました。すると、そういう仕事ではないという返事。
メールによると、年令はどうやらさほど若くもないみたい。「???何者?」と好奇心がムクムク(笑)でも、最近の私は、相手の立場も考えずモノを言い、大変失礼なことを多々しているようで、いつもあとで気がつく。いえ気がつかないことも多いかと…(汗)(汗)

ということで、少々びくびくしながら会う約束をしました。
お目にかかってみると、まあ感じのよい素直で知的な女性でした。Sさん、Hさんごめんね~。

Hさんは、同業者ではないものの、同じように子どもたちを教える仕事をされていました。私より立派なお仕事でした。そのお仕事の中で、やはり姿勢や鉛筆の持ち方が気になられたようです。そして、本筋の学習を始める前にちょっとでも、子どもたちの書き方を楽にさせてやりたいとのこと。

私はとても嬉しくなっていろいろとお話をしました。書写、書道の専門のお仕事をしている方達より現場で実際に指導をされている方のほうが、問題解決意識は強いようです。私たちはおおいに盛り上がりました!!

もちろん現場の指導者は彼女たちのような方ばかりではありません。たいして子どもを見ずに指導している教師も多い昨今です。私はほんとうに嬉しくて・・・とても幸せな気分になりました。



★立ち上がった先生達!!★   2013.5.23 

某幼稚園の先生たちと「文字の指導について」の話し合いをいたしました。 その幼稚園ではこれまでもドリルを使っての文字学習はしてきています。
先生方は手探りで指導をしてこられました。でも、「これでよいのか?」という疑問は常々感じていらっしゃったようです。同じ教材で指導するには子どもたちのレベルに差がありすぎるからです。
まだきちんとすわることすらできない子がいる一方で、漢字も書けるような子がいる・・・
とりあえず書けている子は、少しのアドバイスで課題ができるけれど、書けない子どもたちに対してはどのように接してよいかわからないようでした。

先生方も、始めて書き方の指導を習うということでとても緊張されていました。そりゃそうでしょう、大学での授業では全くとりあげてもらっていないし、自分が書いている字だって正しいという自信はないでしょうから。
この場に参加すること自体がプレッシャーです。
ここで私が思いの丈を全部言おうものなら 「えぇ~ッ、そんなにも大変なことなの!! 私になんかできっこないじゃん!!」 と、どん引きされてしまいます。
ここは慎重にやらなくちゃ・・・

まずは、この幼児の実態を親と学校の責任にして・・・
日常の生活態度や遊びのスタイルが変わったことで、 「じっと座れない」「鉛筆がうまく使えない」 入学後の文字指導のペースが速すぎるという親の不安が、幼稚園での文字指導を余儀なくさせている。
しかし、幼稚園での教え方は誰も責任を持ってしてくれない。

「幼稚園の先生も、園児も被害者です!!」

と、口上を述べました。先生の気持ちを楽にさせてあげようと思って言っているうちに、 自分が熱くなってしまいました。だってほんとうのことですもの!

まあそうわめいても、何の解決にもならないわけで、ここは先生方が少しでも楽に指導ができるよう、長年文字を教えてきた塩出がお手伝いをいたしましょう。
ということで、脱線につぐ脱線でしたが、演習をしたり説明をしたりしながら、先生がたの疑問や悩みを聞かせていただきました。
先生方は子どもたちの様子をしっかりと把握されています。それは、「なんとかして、できるようにしてやりたい」という気持ちの裏返しです。ちょっと感動しました。

ここの幼稚園では、年長での課題が少し難しいようです。
それは、年中の時に運筆練習が十分できていないからだろうと思いました。もう一つの幼稚園では、年中のときに文字を書くために必要な姿勢と指先の巧緻性のための運筆練習を体系的にしています。
年長で文字を書くことにおいて、その差はかなりのものとなっています。また、年長での運筆練習も不足しているようでした。

1学期、2学期、3学期と子どもたちの成長には目を見はるものがあります。
一斉指導で同じような教材を使うのも問題がありそうです。だんだんと難しくなっていく方が先生も教えやすいように感じます。

教材については、先生方がとても積極的に意見や質問を出してくださいました。
この話し合いが、私の教材を見直すよいきっかけとなったことは、いうまでもありません。
これからも、先生方と話し合いながら幼児期に見合った教材開発をしていこうと思います。



★辛抱に花咲く!! ★   2013.2.8 

 2年生になってやってきたM、鉛筆をぎゅっと握りしめ、ありったけの力で字を書いていた。これでは、いくら字形をなおしたくても手指がいうことをきかない。
どうやったら、あの筆圧を緩めることができるのか?持ち方を直そうとしても「書きにくいから嫌だ!」という。
 「字の形が良くならないでしょ?」と言っても、「どうせなおらないから」とあきらめている。きっと、ずーっと言われ続けていたのだろう。そして、「たくさん書いているうちに、上手になりますよ」と、いうことが唯一の救済措置であったのだろう。「どうせ上手くはならない」と言いつつも、たくさん書いていればいつかはきっと…と、ひたすら書いていたのであろう。

文字の中心、線の長短、傾き、はね、はらい、など細かい指示に対しては聞く耳を持たなかった。今思えば、誰もが指導しなかったのではなく、Mが理解できるような指導をしなかったのである。言われていることが理解できない、理解できたことも手指の発達が十分でないため、思い通りに書けない。そんな事の繰り返しで、心も耳も閉じてしまったであろう。

 そんなMも3年生になり、手指の器用さもかなり良くなり、また書くことにゆとりできてきた。上達への準備は完了したのである。そこへ、同じ学年の子がやってきて一緒に学ぶことになった。先達のメンツとして「これはうかうかしていられない」という心構えもでき、Mはみるみるうちに上達してきた。

 書字のレディネスが十分になるには個人差がある、それまでを辛抱強く見守り、発達の促進を支援しましょう、という実話。

これで、Mは大量の文字を疲れることなく書き続けることができる。書写力でのゆとりは、他の学習へ向けられ、学力の向上へ、ということを期待しつつ…



★どんな教え方をしたの?! ★   2013.2.8 

 最近やってきた三年生のA、とても賢い子である。しかし、鉛筆の持ち方がおかしい。手指が硬直していてうまく動かない。姿勢も良くない。
私が指示することは理解しているのであるが、鉛筆が自由に動かないので思うような字形にならず、何度も書き直すが納得いく形にはならない。上手くできないので教えてくださいとも言えず、そのうち書くのをやめて雑談をはじめる。
 3年生の女の子は手強い。自分を正当化するためには、言い訳もするし、反抗もする。仲間の欠点をあげつらう。叱ってもだめなら、せめて良いところを誉めて…と、まず「良くできています」と言っても、自己評価はある程度できる年齢である。「先生はそうおだてて、やる気を出さそうとしているでしょ」とくる。憎たらしいことこの上ない。しかし、それも人としての成長の証。ああこうは言いながらも、基礎力が身についている子は、心の憂さをはき出したら、観念して書き始める。

 しかし、件のAは3年生ではあるがまだ基礎力が身についていない。おまけにプライドが高い。自尊心に傷が付かないよう、個人指導をすることにした。
Aの傍に貼りついて、座り方、鉛筆の持ち方、字形の見方などをやさしく指導する。
Aは上手く書けないことで、かなり辛い体験をしているようであった。「の」の字が書けないために、何度も何度も書かされたという想い出をぽつりと漏らした。「の」の字は今でも上手く書けていない。それは、鉛筆の持ち方が悪いためである。
推測ではあるが、手指の関節がまだうまく動かない時に、持ち方の指導を受けたのであろう。手指が硬直してしまっている。書字においては悪循環をくり返してきたのであろう。

 さて、これからAはどのように成長していくであろうか。
まずは心を開いてもらわわねば!!


★誰が教えたの?! ★   2013.2.8 

 「○○くん、「も」の書き順は「し」からだからね」と私。
「そんなことわかってるって!どうしていちいち言うの?」と○○くん。
こう言う場合、だいたい図星(まあ、こっちも間違っていることがわかっているから、やんわりと指摘するのであるが)
「そうだねえ、ゴメン、ゴメン、言わなくてもちゃんと書けるんだったよね。」(決して、「さっき、まちがって書いていたでしょ!!」とは言わない。)

 しかし、本音は「この世に生まれてわずか5,6年の子どもの言う科白かい?!」と少々心が暗い。
子どもだって、プライドはある。人前で注意されることは良い気持ちではないはず。でも、「自分がまちがっていたら直しましょう」ということをルールとしている子は、素直に言うことを聞く。
 ことばで反抗したり、直された紙をぐしゃぐしゃに丸めたり、捨てたり…
5,6歳になると、反抗することで自分を正当化する子がいる。

 一体どういう育て方をしているのかしらん!!私には、こどものありのまま(まだ、うまくできないくても良い)を受け容れず、理想とする子ども像を強いている親の姿が浮かんできて、仕方がない。


★怒りは人の為ならず ★   2013.1.27  

年のせいかやたらと気が短くなっている。叱っても効果はない、とわかっていても「うるさ~い、シオデ先生は怒ってマス、静かに書きなさい!!」と言ってしまう。子どもたちが上手く書けない時は、きっと何かほかのことでもうまくいっていないのであるから、叱るだけむだなのである。それを、むりやり威嚇して、書かせたところで、文字はちっともうまく書けない。

意欲のない自分を鼓舞して、やりたくないことに立ち向かえる年齢ではないのだから。 ふだんできることでも、気分が良くないと、うまくできない。まだ十分に理解できていないことであれば、気分が落ち込んでいるときには、尚更できっこない。優位にある教師の方が、きちんと子どもの気持ちを受け止めて、臨機応変に、方法を変えるべきなのであるが…

年のせいか、それができなくなりつつある。怒りモードのなかにもゆとりがなくては、自分も疲れる。 「こんな日もあるよね、次回がんばればいいよ」と、鷹揚に構えられない。ゆるめたら、どんどんレベルが下がる、という不安がある。2週間に1回しかないおけいこだから、無駄な時間を費やしては勿体ない、と思う。

気持ちばかり焦って、むりやり子どもを自分の方に向かせようとしている。子どもたちはさぞ迷惑であろう。しかし、私には、こんな時にちゃんとフォローをしてくれる仲間がいる。 子どもたちには、できないところをやさしく指導し、私のかわりにテキパキ準備や後始末をしてくれて、私の心を鎮めてくれる。何ともありがたい仲間である。

感謝、感謝!!


★書字研究って??? ★   2013.1.4  

書字学習の研究は、主として、書字困難な児童生徒(あるいは成人)のために、発達学・心理学の分野で行われてきた。近ごろは、書字獲得過程への関心からか幼児の書字が研究対象となりつつある。
何を今更、と少々憤りもするが、まあ、エライセンセイが問題提起をしてくださるのが、第一歩なのかもしれない、と思うことにした。私たち名もない書道教師がいくら言ったところで、社会的な影響力はないわけだから、センセイがたに声を上げてもらえば、多くの子が救われるだろうから。(でも、へたすると間違った方向に進むかも知れない)

センセイ方の目下の関心は、スクリブルから文字の図形的な関心、そして文字としての認知…???
とても小難しい用語を多用して偉そうに書かれているけど、そんなこと親や保育者は当然のように受け止めているわけで、今更事々しく書かなくても…、というのが現場。
それより一体どこまで、子どもの自然な発達にまかせるべきなのか、指導をするならどうすりゃいいのかの方が知りたいわけです。何故って…??

「A子は教えないでも字が書けた」「B子はいくら教えてもうまく書けない」「C男は書くのが遅い」「D男は持ち方が悪い」などなど、親の不安は募るばかりで、ちっとも解消されない。終いには「どうすりゃいいの?!?!」と子どもに八つ当たり。

おまけに、幼少連携教育だのって、幼稚園に文字教育を降ろそうということも企んでいるらしい。それも、まず枠ありき、で。ゆとりの時と同じで、中身のほうは空っぽ。「幼児期から文字を教えます」なんていうことになったら、また子どもが犠牲になる。この発達の差の大きな時期に、あの手この手も考えず、一斉に学習行為をするわけかい!! 発達研究から、書字の獲得過程や書字困難についての報告は、このところ続々。 しかし、解決策までは提示されていない。だって現場を見ていないから。 書字の獲得過程や書字困難における問題点は、親や保育者からいくらでも聞きとることができる。 なぜ、現場の声を拾わないのだろうか? 学問としての教育研究の限界を感じる。 題目を念仏のように唱えていても、衆生は救えません。 学者って、学者って・・・(怒)


★幼児期に字を書くということ★   2013.1.22  

幼児期における文字指導は、依然として水面下で行われている。その分、実態が公開されにくい。だから、書字の発達段階は把握しにくい。

文字やことばを“書く”ためのワークブックは、かなりの幼稚園や保育園が使用しているが、「入学前には系統立てた指導は行わない」つまり、各幼稚園で、「それなりに書かせる」ということで、幼稚園の指導要領への義理立てを果たしているのではないだろうか。

幼児教育に携わる学者は、「入学前には教えない方が良い」という。特に教えるのではなく、個々の幼児の自発的な興味関心に任せて、適宜支援をせよということであろうが、この“”適宜”がクセモノ。

自発的に文字の読み書きを始めた子どもの親は、それをどのように高めて良いかわからず、くもんなどの学習教室へ入れる。それを知った、読み書きに関心のない子の親は不安になり、やみくもに文字の読み書きを教える。

いずれにしても、入学前の書かせ方が、入学後の書字にはプラスに働いていない。

速く書くと字が汚くなる。長い時間書くことができない。いつまでも姿勢よくならない。鉛筆の持ち方がヘン、などなど…

学校では、「入学前に書かせるからだ」といい、幼稚園では、「きちんと教えるのは学校の役目でしょ。」という。

発達段階を踏まえた書字の研究は誰もしていない。

書字における発達段階って何だ!?

熟知している研究者がいたら名乗りを上げて欲しい。



★「発達段階に応じた指導」★   2013.1.4  

このところ、「発達段階に応じた指導」ということに関心がある。

書写教育においてもよく使われているが、みなさん「発達段階」をどれだけ把握しているのやら…、かなり安易に使っているとしか思えない。

昨年の秋の学会で、私たちの他に、もう一件、幼児期の文字指導についての発表があった。幼児期の文字環境についての発表であった。教室の文字環境を整えよということと、姿勢・執筆に関してであったが、発表の最後に、「文字は書かせなくても(教えなくても、だったかも)良いから、姿勢と鉛筆の持ち方だけは教えて欲しい、と声を大にして言いたい」と、言われた。

発表者はまだ若く、経験が浅いための気負いと聞き流せばよいが・・・「姿勢・執筆は文字と表裏一体。鉛筆で文字を書かせたからこの問題が実感として捉えられるのであるから、貴女の主張はナンセンス!!!」なのです。指導教官はそう考えなかったのかしら??

「姿勢を正しくする手だての具体的なことは?」という質問にも「声かけ」程度しか帰ってこなかったし。声かけたって、幼児はその場限りです。身体の安定は、体得するべきことなのです。

発達学の本を読みましょう!!と、にわか発達論者の私・・・

学者の研究・指導って、どこか現場と乖離していますよね~



★再度 書字困難児★   2012.9.24  

これまで私は、「私の役割は書写技能をよ無理なく、短期間に習得させること」と、ひたすら運筆指導、執筆指導の工夫をしてきた。しつこいようだが、書字が困難な幼児の多くは、運筆・執筆に問題がある。しかし、書字困難児はそれだけが原因ではない場合もあるようだ。

うちの教室の場合、運筆練習がある程度の段階に到達したら、筆順や字形の指導を行うのであるが、聞く力、理解する力が弱い子どもがいる。その原因がさまざまで、どうも子どもの気力や集中力だけでもないようである。

昨年ころから「発達」に関する本をいろいろと読んだり、専門の先生に話を聞いたりしている。「発達障害」の本も色々読んだ(近年はこの手の出版物が非常に多いので、読み方は慎重にしている)とくに「発達と文字」についての情報ができるだけ多くほしいので、あれこれと伝手を頼りに資料をいただいて読んでいる。驚いたことに、発達の障害に関する本には、書字に関するものがかなりある。これらの本には、健常者の基準がきちんと提示されている。「○さいころには、このようなことはできる、しかし発達に障害がある場合は、このような状態になる」というように。。それだけ文字を書くという行為は難しいことなのだろう。

この夏休みに本を読んだことで 「どうしてこのような書き方をするのだろうか」「見本の通りに書けないのは何故なのか」ということは、もっと広い視点から考え、原因を究明するべきであろう。安易に叱りとばすようなことは避けなくてはならない。と思うようになった。


★書字困難の原因★   2012.5.24  

とある学者(実は私の友人)から、運筆練習の重大さを熱く語られた。大学の書写の授業でもまず運筆練習をさせるという。中高生にも効果があるという。確かに私も大学の書写の授業でやってみて効果があると感じている。文字を書く前の準備運動としての運筆練習は効果的である。

しかし、そのことがどの程度浸透しているか、というとおそらくゼロであろう。学校ではそんなことはしている余裕がない(?)書道塾では方法がわからない。学習教室では、遊びに見えるから親へのアピール度が低いからあまりしない、などなど・・・

少々、皮肉っぽい書き方であるが、ある程度事実であろう。

「早くから文字を書かせるから、云々」ということは、学校教育の方から嫌と言うほど聞いた。公文や学研の教材では文字を書く前の運筆練習が大事であるということで、運筆教材はある。しかし、それも文字を書き始めの頃のみ。国語の学習として文字を書くようになると運筆練習はなくなる。手先が不器用になっている現代、運筆練習は、毎回するべきである。しかし、誰もが運筆練習の効果に半信半疑である。そのくせ「字が汚い」「書くのが遅い」などと文句をいう。

書字の習得過程の研究をもっとしてから、書字指導について語って欲しい。


★聞く力★   2012.5.18  

「話をちゃんと聞きなさい!!」と、怒鳴ったところで、幼児は聞きませんねえ。話(説明)をきちんと聞くような環境作りをするか、きかなければわからないような教材にするか、聞いた方がよりうまくできるような教材にするか、これは指導者次第。若い頃の私は、子どもがうるさいのが嫌いだった。「どうしたら、静かに書くか?」ということばかり考えて、教材を作った。次に「どうやったら静かに聞くか」ということを課題として教材を作った。

一週間に1回(今は2週間に1回であるが)たった1時間弱の出会い。4,5才というほとんど動物のような本能と嗅覚をもった子ども、すべてが一律ではない超個性的な子どもたちを15人以上に対して、一斉におなじようなことをさせるなんて・・ムリ!!!

でも、きちんと説明をし、それを聞きとって書かなくては、結局上手にはならない。

始めのころには字の書けていなかった子が、最後には「上手ね!」と誉めてもらえるようになり、早くから字が書けていた子が、ちっともうまくならなかったり・・・

親たちは「書き方教室に行かせて、良かった!!先生のおかげだわ~」と思ったり、「書き方教室って、あまり効果がなかったみたいね」と思ったり・・・
上手になったのは、子どもに聞く力があったから。うまくならなかったのは、話を聞かず、自分勝手な書き方をしたから。
人の話を聞くという態度が年長になってもできないのは、多くの場合しつけにあります。話を聞かない子の親はたいてい、自分も話をきかないで、おしゃべりばかりしているみたいですよ。(勿論例外もあるけど、長年の経験では確率が高いです)

まあ、聞く態度を育てるのも、教師の力もありますが、幼児期の大半は、家庭ですね。


 
★年中児の体力差★   2012.5.8  

S幼稚園では、今年も年中児への運筆指導にとりくみます。

S幼稚園では、文字を書かせることに重点を置くのではなく、入学後に文字をより良く書けるようになるための支援として、運筆練習に取り組んでいるのです。けっして先取り教育ではありません。けれども結果的には、全員がかなりのレベルの字を書きます。姿勢も良いです。基礎的な書写力を身につけて卒園します。

さて、年中クラスでは、毎年最初に私が模範授業をします。30分でプリントは2、3枚。縦線と横線の練習です。

B4の用紙いっぱいにまっすぐな線をひくことは、意外と難しいことです。体を起こして腕が自由に動くような姿勢でなくてはできません。とくに、年中でもう字を書いている子は、ほとんどアウト。文字を書くために、机に体をくっつける習慣がついてしまっているからです。

長い線をひくには、腹筋、背筋がしっかりしていなくてなりません。だから、体力がいるというわけ。
文字を書くための運筆練習ですから、でたらめに線を引くのではなく「始筆、送筆、終筆」をきちんと意識して書くのです。そのためには、速度の加減をしなくてはなりませんし。線を平行に引くためには集中力もいります。

体力のない子や、朝ご飯をきちんと食べていない子は、すぐに疲れてしまいます。 体力は基本です。文字は身体条件がそろっていれば、早くからはじめなくても良いのですが、その身体条件を揃えるために、わたしは早くから書き方の教室を開いているわけで・・・・

きちんとすわれるようになると、鉛筆もうまく持てるようになりますし、きちんと説明も聞けるようになります。なぜなら、心にも体にもゆとりができて、書くことにのみ身体が集中してくれるのです。

まずは体力!!


 
★書き方体操は効果アリ!★   2012.5.2  

昨年は、鉛筆を持つ前に“書き方体操”をいたしました。文字は書けるのですが、きちんとすわれない子どもが、年々目につくようになったからです。

そもそも、4・5才児が文字を書いたり、運筆練習をしているときに、姿勢にも気をつける、なんてことができるわけがありません。

字を書いているときの姿勢の悪さは、きちんとすわることもできないのに、文字を書かせたからなのです。

やみくもに文字を書かせるから、姿勢や鉛筆の持ち方が悪くなるのです。ということを、何度ここに書いたことやら・・・

ということは、さておき、“書き方体操”をしてみると、やはり鉛筆がうまく使えない子、運筆力が良くない子は、この“書き方体操”ができません!!!「手が痛い」「しんどい」と、すぐに手を下ろします。それよりも何よりも、手をまっすぐ伸ばすことができない!!

どんなことをするかって?

上半身の筋トレです。両手を挙げて「万歳」のままで10数える、そのまま「前へならえ」をして、また10かぞえるまでガマン。あるいは、「万歳」をしたままで、じゃんけん。拍手。要するに、腕を下げないようにさせるだけ。

ホント、いまどきの子どもたちって、腕の筋肉や背筋、腹筋が弱いですよ。これができるとうまく座れるようになります。そして姿勢良く書けるようになります。

いつまでもできない園児は、みんな運筆も字も下手。コレ、ホントですよ~!!!!



   
★早くから字を書き始めると、その分だけ早くうまくなるか?★   2012.4.26  

年少組の園児の保護者から、書き方教室についての問い合わせがあった。文字が読めるようになったし、書くことにも興味があるので、書き方教室に通わせたいとのこと。
>母親が言うには、4月生まれでもあるから、充分ついていける、と言われた。私は、「年少のお友だちもいませんから、来年のほうが良いと思います」と、親に気をつかったつもりであったが、「スイミングも一人ですが問題はありません。うちは学年にこだわらず、能力のある子はどんどんとやらせる方針です」と、あたかもこちらが才能を潰すかのように言われてしまった。

確かに年少の4月生まれと、年中の3月生まれでは1ヶ月しか差がないわけで、年少と年中の間で線引する理由はないのかもしれない。しかし、親の言うことはかならずしもこちらの判断と合致しているわけではない。親にとって“書けている”と判断される文字でも、私から見ると“書けていない”と判断することも多々ある。親の欲目、ひいき目は子育てとしては大事なことであるが、教師は冷静な判断をせまられる職業。

「わが子はヨソノ子とはちょっと違う(出来がよい)」と思いたいであろうが、子どもにはそれは必要ない。3才から読み書きができるなら、それはそのままにしておいて、もっと体作りをさせた方が良いのです。

やいのやいの言われすぎて、自分で判断ができない、自分の意見をもたない子が少なくない。親や指導者にとっては従順な子は扱いやすい。言われるままにしている子は、何でも最初のうちは良くできる。しかし、誘導がなくなったとたんに、立ち往生。
文字を書くことにだって、それは当てはまる。自分で考えて、判断できないと、きれいな字は書けない。
早くから字が書けることは、様々なメリットにつながる。しかし、早くから字を書き始めると、その分だけ早くうまくなる、ということは、長年の経験からすると、残念ながらYESとは言いかねる。

大事なのは、やはり入学後の書字のあり方である。

年長から指導を希望された方には、申し訳ないと思ったが、「うちの教室は集団指導である。どこかで線引をしなくては成立しない。」と、ご遠慮願った次第。

1年後、2年後のその子を見てみたい、と悪魔のささやき。


 



久米公氏が「書写力低下の構図」を提示されたのは何年前のことだろうか。

私はそれに触発され、「幼児期の書写力低下の構図」を考えたのであるから、きっと30年くらい前のことであろう。

この構図は今、さらに複雑になってきている。もういちどこの構図を構築しなおして、書写のあり方を考えなくてはならないと思うこの頃である。