この時期大学の書道展の案内がよく送られてくる。卒業の節目あるいは記念として開催されるのであろうが、若者たちは何のために書道を書き続けてきたのか、そしてこれから社会においてどう活かしてゆこうとしているのか? それは書道だけではなく、大学で学ぶ目的すべてに言えるのであろうが。少なくとも、大学で書道を学んだ学生は、高校時代までにも書道を学んできており、さらに継続したいという意志で大学でも選択したのであろうが・・・ 一昔前までは、大学で学んだ技術が社会でも活かされていた。学校の先生にならなくても、毛筆書が書けるということで、会社で優位に立てることもあった。毛筆で書かれた文字は1ランク上に評価された。 しかし、今は何でも印字ですませる。さまざまなフォントがあり、レイアウトも思いのまま、どのような大きさにでも出力が可能。「毛筆は大きな文字を書くのに適している」とも言えなくなった。 式次第、講演会の立て看板、演題、表賞状…なんでもPCでOK。 ほんとうに、書道は危機に瀕している。このまままじゃ、かならず滅びる。それは時代の流れなのか、それとも指導者の努力上足なのか… 指導の手抜きをしているとは思わないが、少なくとも、時代のニーズを見据えての努力はしていないと思われる。 「それは邪道だ!」なんてお高く止まっていると、そのうち誰も習いに来なくなる。 先生方、わかっているの? ということで、しばらく、書道の現代における意義、在り方などにもの申していきまする。 【その11】明、清時代の書が大きいのはなぜ? 【その10】言葉を書く? 文字を書く? 【その 9】誤字? 誤記? 【その 8】手書き文字=読みにくい だけ? 【その 7】手書き文字が自己主張をはじめている 【その 6】どうすりゃええの? 幼児の文字その2 【その 5】予楽院さまにお尋ねします 【その 4】江戸時代の古筆収集と書法テキスト 【その 3】武田双雲さんガンバッテ!! 【その 2】お嬢さまの書道展どうすりゃええの? 【その 1】幼児の文字 |
★ 明、清時代の書が大きいのはなぜ? ★ 2009.3.27 われわれが平生書いている文字の書体は楷書、行書、そして場合によっては草書です。決して篆書や隷書ではありません。それは、これらの書体が紙に書写するのに適しているからです。 製紙技術が発達すると、人々はこの軽くてしかも折りたたんだり丸めたりしてコンパクトに持ち運べる、紙という書写用材を愛用するようになる。 この時代に行書、草書の大天才王羲之が登場する。この王羲之の文字を後世には至上の文字として手本としたわけである。王羲之サンは紙が普及したという、とてもタイムリーな時代にお生まれになったわけね。 王羲之崇拜は、唐の太宗皇帝に始まりその後宋、元、明、清と歴代の重鎮に受けつがれる。それは脈々と現代にも受け継がれ、日本でも、楷書は欧陽詢『九成宮醴泉銘』、行書・草書は王羲之のもの、といっても後世の摸写ですが・・・ その王羲之が生存していた時代の紙の大きさが縦は30センチ未満、横も50センチ程度。記録のためや手紙の文字だから一文字の大きさはせいぜい2,3㎝角。筆も巻筆で、今のようなものではない。 その後製紙技術が発達し、大きな紙が造られるようになると、書写用に提供される紙も大きくなり、文字も大きく書けるようになる。文字を大きく書くと、筆の開閉、含墨、筆触などの変化が明確になり、文字は言葉を伝達するというメッセンジャー係の他に、書き味という付加価値の主張を始めるようになったのである。 簡単に言うと、文字は書き味というごちそうを文字を書く側にも読む側にももたらしたのである。そして文字を絵画のように鑑賞するようになったわけ。 文字のルネッサンス~!!(乾杯) かくして、明、清には巨大な書作品が登場。 現存する歴代の書作品を同じ比率で縮小すると、文字の大きさ、紙の大きさが時代によって変化してきたことがよりわかりやすい。 王羲之の書が後世にいかに尊ばれたかは淳化閣帖という法帖が示している。 さらに清の時代には、学者による古代研究、あるいは遺跡の発掘によって、再び脚光を浴びるようになった古代の文字、その文字の造形に魅力を感じた書家による作品化で、清代には書道文化が花開いた。 ということをNHKのカルチャー講座で書家ではない先生から学びました~ 知識を学ぶにはそれなりの努力がいりますわ!! |
★ 言葉を書く? 文字を書く? ★ 2009.3.14 書作品を制作する際、言葉(あるいは文章)を書こうとすると、その内容に表現様式が引きずられる。内容には深く関わらず、文字の造形に主体を置いて書くと、ついつい現代ではあまりなじみのない崩し字を用いるため、周囲からは「読めない、わからない」という感想しかもらえない。 文字を書表現における素材、あるいはモチーフとするならば、読めなくてもよいのではないか。 線の趣、個々の文字の造形の面白さ。文字の大小や連綿による変化、墨の濃淡や滲み掠れによる陰翳、紙面の余白が醸し出す余韻…これらを様々にくみあわせて一つの世界を創るのであるが、その時はもう世間が何を言おうと「そんなの関係ねぇ!」のであるが… はたと我に返ると、書道衰退の究極の原因は、「この面白さを鑑賞する側に伝えていない」という現実がある。 言葉の持つイメージを筆、紙、墨で表現するのも書の在り方の一つ。でもそうなると、大半の人が読めるように書かなくてはならない。いきおい表現の幅が狭くなるのは必至。それと、ちょっと自己満足に陥りやすいかも。武田双雲がそれに近い。 の普及と書の追求、そして書の解説、活性化…本当は書道家のお仕事はいっぱいあるのデス。 昔、「書とは文字を素材とした造形芸術である」と習った覚えがあるが、果たして今日、書を芸術と認識して活動している人が何人いるのか? ・・・う~ん、 桂風庵主の書活動はどのスタンス??? とまれ、今日は久しぶりに書家モードで燃えましたわ~ |
★誤字? 誤記? ★ 2009.1.15 道教室に、通ってくる高校一年生が学校の課題を持ってきて書いていた。わが教室は何をしても良い自由な教室。 「遺愛寺鐘・・・」そう、枕草子の中でも有吊な白居易の詩。 「あら、良い課題だこと。清少納言って物知りだよね~?」と言う私に対し、 「何て書いてあるかわからん。読めない字もあるし。」との返事。 「読み方や内容の説明はないの?」と聞くと「全然ない」とのこと。 (まあこれは何処の高校も似たり寄ったり) とにかく展覧会に出す手本を各自に渡し、あとはひたすら書かせる。 幸か上幸か、毛筆の文字は筆路がわかりやすいので、読めなくとも、図形的に模写すれば筆順の間違いはないので、作品はそこそこ出来上がる。しかし学生たちは、ホントは何を書いているのかを知りたいのである。 もちろん語り部の私は嬉々として説明。「遺愛寺鐘欹枕聽 香爐峰雪撥簾看」(我々も高校時代、誰かがこの詩を書いたものだ) しばらく見ていて、その手本に違和感を感じた。「遺愛寺鐘欹枕聽」と書いているのであろうが、どうみても「遺愛寺鐘歌枕聽」と書いているように見える。「歌」と「欹」は行書にするとやや似ている、しかし手本は明らかに「歌」と読める。間違いはもう一箇所、「香爐峰」の「爐」の火へんが金へんになっている。 先生は何度も手本を書いているうちにテキトーに書くようになってしまったのかな?(そういえば、数年前にも吊門の某私立高校の手本にも同じような間違いが・・・) |
★ 手書き文字=読みにくい だけ? ★ 2009.1.5 昨年は源氏物語成立1000年ということで、さまざまな源氏に関する文字資料を目にすることができた。ついこのあいだまで、テキストも手書きであったことを再認識した。いまでこそ、手で書き写すなんて、めんどくさい・・・と、当然のようにコピーに走るが、写真機やコピー機あるいはスキャナなど文字を写し撮る機械もなく、ひたすら手書きによって複製していった時代は日本でも1300年以上続いた。 乏しい書写用紙の供給、書き直しのきかない墨と筆という筆記用具、書くという行為には緊張感があった。手書き文字には自然と個性が表れる。「これは誰の字?」と書写者にも関心がゆく。 手書き文字には付加価値がある。それが心地よいとも言えるのであるが、今般、読みにくい、編集しにくいということで、印字が主流になった。文字の優劣にこだわりすぎたのか?書写・書道教育の貧困さゆえか?人を感じさせない文字が優位を誇っている。 スローライフの一環で、手書きを心がけては? でも、今年の年賀状に、資源の節約に協力するため、来年から年頭の挨拶もメールでおこなうと宣言した国文学者もおられた。 う~ん・・・ PCなどで文章を作ると、安易にプリントアウトしては編集をし、またプリントアウトをしなおし、けっこう資源を無駄にするような気もする。 |
★手書き文字が自己主張をはじめている ★ 2008.5.1 でもそれは、書壇の先生の影響でも、書道教育機関の先生の指導の結果でもない。 手書き文字の本質を見出したのは、組織に属さない若者たち。 そしてそれが拡がったのはマスコミで採り上げられたから。 修行のような書を楽しみに変えたのは新しい階層である。 ニューウェーブが一時的なブームで終わらないためには、彼らが、本物の書を書くこと。 面白い、楽しいだけでは、やがて飽きられる。 |
★どうすりゃええの? 幼児の文字その2 ★ 2008.5.1 某幼稚園で書写指導の講習をしました。 自分の字の書き方に関心のある先生、ない先生。受講態度でわかります。まず、これが幼児期の文字指導の実態。保育者に書写意識がもっとあれば事態は変わっていたでしょう。 左利きの先生は、なんら疑問もなく教材を使用していました。左手で書く子どもにとってこの教材は適切かということを質問したのは別の先生。 BR> 鉛筆の持ち方を練習しても、メモを取るときにはいつもの持ち方。(何のための指導じゃいっ!) なんてぼやかないでこれからも積極的に指導者に講習を試みます。 |
★ 予楽院さまにお尋ねします ★ 2008.2.20 あなたがあれほど臨書をなさったのは一体何のためでしょう? あなたは本物と見まがうほどの忠実な臨書をたくさん残されています。 そりゃあお殿様ですから、超一流の書はいくらでも手に入ったでしょう。 でも、当時(江戸時代)の古筆蒐集家のみなさまは集めることが最終目的。 それを手本に文字のおけいこをなさったのではございませんでしょ。 予楽院様とて、まさか手習いの手本を集めたのではございますまい。 ありとあらゆる吊筆を片っ端から臨書なさったのは一体なぜなのでしょう? まさかまさか、後世のために複製を残してあげようと思われたのではござるまい。 タイムマシーンがあれば尋ねていって是非ともきいてみたいもの。 当時の文字といえば御家流一辺倒。軒並み行成が嘆き悲しむような字を手本にしていた。その実態を知っての上での臨書?まさかねぇ・・・ あれだけの臨書をした予楽院であるが、その臨書が予楽院の文字にどのような影響をあたえたというのか、これがわからない。確かに達筆ではある。気品のある、隙のない文字という印象はあるけれど・・・それだけなのである。 |
★江戸時代の古筆収集と書法テキスト ★ 2008.2.16 近衞家のお宝の一つである、予楽院「臨書手鑑」の複製本が手元にある。 1月に東京国立博物館で実物を見てきたので改めてこの影印を見ている。 家煕(予楽院)は何の目的でこれを作成したのだろうか? 実に見事な臨書である。自己研鑚のためにこのような学習をしたのか、それとも複製を資料として後世に残したかったのか? この本の解説に非常に興味深いことが書いてある。家煕が在世した江戸時代中期は「古筆切」を収集して「手鑑」を制作することが大流行していた。それは専らお宝としての収集であり、鑑賞はついでに見せびらかすという程度のこと。まして、書の技法テキストとしては、まったく対象外。 なぜなら、当時は御家流一筋の時代。師の流儀のみを金科玉條とし、弟子たるものの勝手な振る舞いは神仏の罰を受けても当然という誓詞までかわされたとか・・・ ふ~ん、古筆はすばらしいものです。よいものはしっかり鑑賞しましょう。と師はのたまう。(まあ、書を書かれる方は、あまりご覧にならないですがね。)でも、展覧会には師匠の手本で出品したほうが入選率が高いわけで・・・ いまでも御家流の精神をしっかりまもっておられる現代の書壇でありました。 |
★武田双雲さんガンバッテ!! ★ 2008.2.14 最近の彼の書は俗っぽい気がする。 と感じるのは私だけでしょうか? 武田さん少し忙しすぎて自分の勉強時間がないのでは・・・ 自己研鑚って、おそろしく時間を要するんです。きりがないから。 |
★お嬢さまの書道展 ★ 2008.2.14 地元某大学の卒業制作展を見て感じたことです。 きれいなだけで、何にも感じられない、何も伝えようとしない。 迷いでも、苦しみでも、驕りでも、独善でも、偏見でもいいから何か伝わってくれば、それは作品。どれも手習のお清書で、面白みもなく何もつたわってこなかった。 3年生以下の作品もありました。「これはどこの公民館祭かい?!」 この大学の附属高校、中学校の書作品も併催。これが一番良かったかも。 先生を信じて一生懸命お手本のとおりに書いていました。好感度があります。 大学生諸君、君らの師匠は古典です。師匠に恥をかかせないでほしい。 少々思い上がっていませんか?書くことに謙虚になって、必死になって・・・ |
★どうすりゃええの? 幼児の文字 ★ 2008.2.13 手先の器用さの較差が拡がっています。 きれいな字を書いてほしいと思うなら、文字を書かせるより、手先の器用さを養う方が先決でしょう。 上器用な手で鉛筆を持つからヘンな持ち方になるんです。未熟な指に鉛筆を持たせてまで字を書かせる必要があるのでしょうかねぇ? 「うちの子は全く文字を書こうとしないんです。興味がないんです。」というお母さん、一緒に絵本を読んであげていますか?文字に関心が行くような環境を作っていますか? 「学習教室に行かせるためには文字が書けなくてはならない」そういうおかあさんが多いのもなんだかおかしいですよね。文字に興味がない子に学習を強いるわけ? 「文字は書けるようにしておかないと、学校では面倒を見てくれないから」そんな意見も聞きます。学校が学習指導を責任もってしてくれないというのもどうかと思いますがね? 幼児期に文字が書けるということは、そんなに必要なことなのでしょうか。 幼児期の書写指導、もう一度原点に返って考えてみようと思います。 |