書写・書道・教育にもの申す 2011
 


☆やぶにらみ桂風庵今年もヨロシクッ!!☆





★国語力と書写力は違いますねん★  2011.4.11

 年中から“くもん”に通わせているママ。ボクちゃんは字を書くことが嫌いなんですって?

 「書き方教室に通わせたら、“くもん”の教材の字も上手になりますか?」ですって? 

 ボクちゃんにお会いしてみないと、何とも言えませんが・・・
 「すらすら読める=すらすら書ける」は必ずしも成り立ちませんよ。

 あまり器用でもないけれど、早くから字を読めるようになったというので、“くもん”のお教室に行かせたのでしょうか。

 学習教室はどうしても、文字を書かせます。でも、国語の力って、文字にたよらなくても、伸ばす方法はいっぱいあります。無理に書かせなくても良いのに・・・ 

 と、思う一方で、もっとそれぞれの発達に見合った書く力の育て方を、親にわかるように示してあげるべきでしょ。学者センセ!

 と思うのですが、全く誰もそんな本を、出してくれまっしぇ~ん。
 アタシがやらなきゃ誰がやる、なんちゃって。    




★表具のチカラ★  2011.4.11

 額作品は、重くて家で飾るには不適切。お気に入りの作品を軸装にしてもらった。

 きちんと表具された作品は、何度でも表具をしかえることができる。 

 額装から軸装にかえると、周囲の面積が変わるため、かなりイメージチェンジになる。それは、それで楽しみであったが、依頼した表具師嬢はかなり悩んだという。

 先妻の思い出を壊さないように気遣う後妻みたい・・・(今時そんな殊勝なオンナがいれば、ですが)

 どうやら賢い後妻だったようで、先妻以上の存在はあるものの、けっして出しゃばりではない優れものでした。 

 冗談はさておき、飾る場所をきちんと考えて表装した表具師嬢に脱帽。

 ちなみに、表具師嬢は私の教え子で、6年の奉公を終えプロとなった、若手の女性。伝統を踏み外さないけれど、ちょっとモダンな表具です \(^0^)/    




★出口がない書道の学び★  2011.4.11

 各大学の書道学科も新学期。専門的な学びが始まったであろう。

 某新設書道学科も、多くの学生を受け容れてスタートした。入学生は何を期待して此処に来たのであろうか。受け容れた大学は、このご時世に何を身につけて送り出すというのか? 

 ほとんどの学生が、この4年間で身につけた技量を活かすことなく社会人となる。学年が上がるほどに、現実を知り、それが、書作品に表れてくる学生がいる。手書きの世界にどっぷりとつかり、パソコンも十分使いこなせない学生達・・・(レポートを手書きで提出するような学生がいるのは、きょう日、書道学科くらいじゃないのかしらん)

 「何をめざしてこの学部で学ぶのか」と自らに問うこともなく、カリキュラムにしたがって文字を書いている学生達・・・

筆で書くことが面白くて、それを続けたくて、漠然とやってきた彼女たちは、学び続ける意義を見失ってしまう。心地よい場所でなくなったとき、書く気力も失せる。 

30年以上前ではあるが、私もそうであった。しかし、大量な時間とお金を費やして学生生活を送ったのだから、何とかこれで社会に役立ちたいと思った。大して上手くもない私であったので、半分意地のようなものであったが、こうして今がある。 

待っていては何もしてもらえない。活かすも捨てるも自分次第。先生にほめられるよい子でいることよりは、今必要とする書道は何かをしっかりと考えて欲しい。     




★鉛筆の良し悪し - 結局はコスト優先か-★  2011.2.15

 ステッドラーの鉛筆は握りやすい。軸の塗装液が滑りにくい性質なのである。特殊な加工であるからであろう、値段は高い。しかし、幼児が初めて使用する鉛筆としてはとても具合がよい。

 210円と高くても、その価値があると思い購入していた。

 この鉛筆が、幼児期のオススメ文具として新聞に掲載されて程なく、この会社から、新聞記事の発言者である私の所に電話がきた。「どんなところを改善すると良いですか?」という言い方であるので、「値段が高すぎる」と答えておいた。

 翌年、30円値上がりしていた。その上、芯が折れやすい・軸木の質が悪いなど、粗悪品が多くなった。

 また最近は、鉛筆の軸の塗料の色は同じであるが、滑りやすい塗料の類似品も出現。間違えて購入する人もあるはず。これは日本製の三角えんぴつと同質。輸入代金分だけ高い。デザインのみを同じにして、値段をちょっとだけ元の物より安くするという手口は、消費者を騙しているとしか思えない。(怒)

  




★書道パフォーマンス★  2011.1.9

 今年も元旦から某テレビ局でやっていた。もう6回にもなるようだ。

 元旦の朝なので、この数年家族で見ている。というより、食事時のため家族は見ることを余儀なくさせられているのであるが、見慣れてくるとそれぞれが評論家になってきている。

確かに、書くプロセスを見るのはおもしろい。音楽のようなライブ感覚での視点は、書道にはこれまでになかった。

音楽でのライブは終了時には音は消え、共に時間を過ごした感動のみが残る。しかし、書道は書いた作品が残り、ライブ終了後にはそれが視覚的な主張をし始める。

パフォーマンスも、回数を重ねると観客のレベルが上がる。作品の完成度が低いと物足らなくなるのである。「一生懸命にがんばりました」という書き手のことばが、下手な役者の弁に聞こえる。スポーツのような必死さからくる緊張感がなく、お祭り騒ぎになるのは個人的には賛成ではない。

最初ほどの感動がなくなり、中途半端なイベントに見えてきた。

 とはいうものの、来週は地元でその、パフォーマンス書道を企画しているわけで…

 




★あきらめたらいけん 個人差は最初の間★  2010.12.15

 わが家に来ている一年生。叱ってもめげないのが取り得。
 「話を聞きなさい!」「きちんと座ってから書き始めなさい!」「ゆっくり書きなさい!」「しゃべりはそのくらいで、手を動かす!!」
 4月から、何度言ったことであろう。

 「あんたなんか嫌い! 書き方も大ッ嫌い!」「オニ塩出、くそばばあ!」「ハイハイ、わかったから、書きなさい」(クソガキめ!!)

 どの子もそれぞれに文字を書く条件がちょっとずつ足りないだけ。(だからわが家に来ているのであるが)でも、子どもらしくてとてもよい子達である。

 ただし、一筋縄ではいかない。私もムキになってしまうから、指導が終わるとぐったり・・・何度「もうやめたい、来月はやめます、と言おう」と思ったか。

 それが、このところ、急にきちんと書けるようになった。
 言うことが理解でき、達成感が得られるようになったからであろう。鉛筆が滑らかに動いているので、集中力も出てきた。仲間の出来不出来が気になるようで、競争心も出てきた。

 「辛抱した甲斐があった」と、一安心しているのは、私ではなく親。

 私の、きびしい時間指定にもへこたれず、きちんと送り迎えをした母親に金メダル!!
 長い目で見れば、こんな時間たいした苦労ではないが、そうそうできることでもない
 




★どげんかせんと 幼児期での書写教育★  2010.12.15

 10月より新しい幼稚園・保育園での文字指導に参入。

 若くて指導熱心な書道のS先生と縁をいただき、バックアップをしている。(後ろで君臨していると言われそうであるが・・・)

 幼稚園・保育園各2クラス(年長のみ)への一斉指導。隔週で1回が30分の指導時間。

 教師経験の全くないS先生がベテラン保育者をアシスタントとしての一斉指導。

 新指導陣(S先生と私)VS 旧指導陣(これまでは、保育者が文字を書かせていた)、指導方針の異なる新旧対決である(ワクワク)

 子ども達は毎 回変化のある指導にすっかり魅了。成果も目に見えて出ている。

 やはり、運筆練習中心にカリキュラムを組んでヨカッタ!! と、私たち。

 ところが・・・

 雇用者側からの要望。「次年度は、運筆練習はいりません、ひらがな全文字を書かせてください」とのこと。

 こりゃダメだ 





★ピンチかも 危機感のない書道・書写教育★  

 とある地方の学会でのできごとである。

 書写・書道教育に携わる学校関係者も、他の学問分野同様、OA機材を使用して学習の効率化を考える時期がきたと、部外者の私でさえ感じるのだが、どうも否定的な方が多いようである。

 この分野では、大方の先生が苦手とするのも、心情的にはわからないではない。

 この私も、嫌いである。しかし、はるか昔「PCのことを知らずして、手書きの良さを主張できない」と、無謀にも大金をはたいたのが、私とPCの出会い。

 儲け仕事にの足しにはならないが、少々は役に立っているし、これがうまく利用できれば、可能性も広がるし、効率は確実にUPすることを体感している。

 それを評価せず、「使いこなせるようになるまでに時間がかかるから、ちょっとねぇ」とか「書道の良さは実際に筆を執って書くこと」なんて、できないことを棚上げにしたような発言ばかり。

 「アンタ等の無能さを披露して大事な質問の時間を無駄にするんかい!!」

 危機感のないセンセばかりが発言して・・・

 久々に出席しての感想、「こりゃダメだ」





★文字が書けることはステイタス??★  2010.9.23

 書道教室は、「文字が書けるようになったので、より正しく美しく書かせたい」という本人あるいは親の気持ちで来ていただくのが本来のありかた。「きれいな字で書けることは、気持ちが良いことであり、他者からも尊敬される」ということが価値(でありたい)

 しかしその一方で、字が下手なので上手させたいという親の思いで連れてこられる子もいる。

 本人の意志で上達したいのならば、効果は絶大。なにしろ気力・意欲は申し分ないわけであるから。しかし、本人にその気がない場合は、教師としてはこれほど厄介なことはない。

 学校教育とは違い、書道教室の先生は、教育学や教育心理などの心得がない。「なぜ、言うとおりのことをしないのであろう、これは本人にやる気がないので、指導者の責任ではない」と思いたくなる。そして「上手にならないのは、落ち着きがない、集中力がないため」「すこしも指導者の話を聞かない、言われたとおりに書こうとしない、これじゃあ上手くなるはずがない」と、責任は習う側にある、と思ってしまう。書道教室で教えることは、大して難しいことではないからである。

 しかし、親からみれば、「ちっとも上達しない、あの先生は教え方がよくない」ということになる。こちらも「書道(習字)なんてたいして難しいものではない」と思っているからである。

 では、当の本人は…というと、「おもしろくない」「ほめられない」「やる気がしない」ということで、「上手にならない」という不満あまりきかない。上達したいという意欲もうすい。

 少々文字がきれいである、ということの社会評価がなくなってきているからであろう。このように、とてもマイナーになっている書道教室であるが、そうかといって、字は読めればよい、書けなくても良いという時代は来るわけがない。

 書道教室の企業努力はどこにあるのだろう?





★個人差★  2010.9.22

 漢字を習い始めた小学生。マス目にほどよい大きさ、位置に書くことが難しいようだ。
 直感で難なくそれを実行できる子もいるが、意外と難しい。大人からすると「たいして難しいことでもあるまいに、何でさっさと書けないのだろう?」とすら思える。

 小学校1年生の1学期は、「学校に通うだけで精一杯だろうから」と、ひらがなが上手く書けなくても、まだ情状酌量。
 しかし2学期になるとそうはいかない。「もうこれくらいはできるはず」と、親も先生もキビシイ。「何でできないのッ!!」ということばが出るようになる。

 子どもたちはわざとヘンな字を書いているわけではない。やはり書き方に問題があるわけで、それを解決しなくてはならないのである。

 ここで、再び個々の子どもたちの書き方を見直さなくてはならない。運筆力、鉛筆の持ち方、字形の認識…1学期に教えたから大丈夫、なんて…甘い、甘い。
 上手くできない子どもたちのそれぞれの原因をちゃんと把握して、適切なアドバイスを!!
 




★西行学会★  2010.8.29

 昨年できた西行オタクの学会。お歴々の学識経験者、学者先生方で結成されているだけにハイレベルな妄想も・・・
 西行は、月光仮面のように「♪どぉこの誰だか知ぃらないけれど、誰もがみぃんな知っていぃる~♪」というナゾの人物。まあ、月光仮面ほどではないけれど、多くの歌を残しただけで、決して自分を語ろうとしなかった、むしろ気配を消そうとしたような人物である。

 つかめそうでつかめない、本当の姿。これほど思わせぶりな人物は歴史上、多くはいない。
 西行の実相に迫りたいのは古筆学者も同様のようだ。「これこそが西行の真筆」と言いたい古筆所有者は何人もいる。書状ならまだしも、他人の和歌を西行が書写したことで何が明らかになるのだろう。この日の古筆所有者は、西行の自詠自筆かもと言われた。自詠であるか否かは、西行和歌の総数が変わるから明らかにしなくてはならないけれど、自筆であるかどうかは、それほどのことでもないかな、と思ってしまう(笑)

今回、「西行の書」がシンポジウムのテーマであったので、わざわざ新潟に出かけたのであるが、何だか焦点が定まらずしらけたモノとなってしまった。「書」を学問の俎上に乗せるのは難しいな~。それにしても、この雑誌の創刊号(A5版)4200円は高すぎ!!!
 
 




★奈良博「大遣唐使展」ー井真成墓誌ー★  2010.6.19

 書道の本に「井真成墓誌」についてもの申す論文が出ていたのを読んだ直後に、図らずも、この墓誌とご対面した。何の本であったかが思い出せない。本棚の整理をしていて、なんとなく開いたページにあっておもしろく読んだので記憶に残っていたのである。(もう一度捜し出さねば・・・)
書道研究も最近は活発になってきたなあ、と思いながら読んだ。多くの実物を見たことが権威で、あとは他人の論を適当に引用して持論のごとく、恣意的な文章で綴る、それが多くの書道の論文であったが、最近はかなりきちんと書かれている。(エラそうにいうのは、いつも引用文献の一覧がなくて隔靴掻痒の思いで読むからデス)

 この墓誌にはあまり興味がなくパラパラめくっただけなのに妙に印象に残っていた。
 もちろん展示品については、疑いのあるような一文はなかった。
 まあ日本人贔屓で、偽物とは思いたくないですけれどねえ。

 「遊仙窟」の写本も上品な解説。唐代の艶本らしいのだが、中国には残っておらず、日本では禅宗関係の寺にけっこうあるとのこと。時代を問わず、みなさんお好きねえ~

 今回初めて見たものとして、漢字とチベット文字の二国語で刻された拓本がある。
 現存する最古の国際条約だそうな。それにしても、大きな碑に刻された条文であること。公示効果は絶大であったであろう(笑)

 




★書の鑑賞は表具してこそ その2★  2010.6.19

 5月には2回も京都に行ってしまった。どちらも貴族のお宝拝見のため。
 大雨の中の陽明文庫見学は、それだけの価値がありました。二度目なんて初めても同然。二度目にしてようやくゆとりをもって拝見できました。はやり五摂家のお宝はスゴイですわ。決して狭い御文庫ではないのですが、モノの威力で狭く感じます。気位の高さもヒシヒシと・・・これも“場”の力でしょう。

 「冷泉家展」in kyoto は良い意味で予想外。やはり東京とは展示方法が違いました。こちらの方が一般的は見せ方だと思います。東京は学術的でしたよね。私にはありがたいけれど、あそこまで、「こんなにも所蔵してますのよ」って、出さなくてもいいのに、と思いましたもの。それに、壁面がなぜか王朝継紙模様で時代錯誤感がありましたし。

 今回は御文庫のレプリカがお出迎え。展示もわかりやすくて、文化博物館としては、なかなかよかったと思うのですが・・・

 日曜日にもかかわらず、ひとではそこそこ。ゆったりと見られました。

 陽明文庫での予楽院表具をみた翌週であったせいか、この展覧会の表具が今ひとつ、物足らなく感じてしまいました。

 目が肥えてくるとつらいですわ・・・

 




★幼児教育と文字教育★  2010.3.14

この1週間、ネットで「幼児 文字 鉛筆の持ち方 運筆 姿勢」ということばをいろいろと組み合わせて検索をした。かなりの数がヒットする。しかし、書かれていることはだいたい同じ・・・

わが子の鉛筆の持ち方がおかしい。

鉛筆は正しく持つべきである。

鉛筆を正しく持つには手指の訓練が必要である。

文字を書く前には運筆練習が必要である。などなど。

う~ん、これだけ文字に対する意識が高いのに、なぜ小学校以降の学校教育で、「持ち方が悪い、筆順のまちがいが多い、字がきたない」という報告が多くなされるのか。
「どうせ、なおらないのなら幼児期にそんなにガミガミいわなくってもいいじゃない」なんて悪態をつきなくなる。

そして、「ほんとうに姿勢、執筆、運筆が重要なら、定着するまで責任をもって指導しましょうよ!」と言いたい。

しかし、「だれが責任をもって遂行するべきなの?」

がんばれ書写書道教育者関係!!!

 




★昨年の“とある学会”へのブツブツ★  2010.3.14

書写のページのものをこちらに持ってきました。日ごろお世話になっている先生方が所属していらっしゃる学会ですので、いかがなものか・・・とは思いましたが、現場のキモチですので、消してしまうにはモッタイナイ。

というわけで・・・

昨年秋に「全国大学書写書道学会」というハイレベルな(?)学会に参加しました。

書写書道に関わる研究がさまざま発表されるので、興味深いといえば興味深いのですが・・・

まあ、教育現場では即戦力にならないことばかりです。学会というものはそんなもの。
具体例は個別な現象であって研究成果ではないとかで、「私が指導した際にはこのような結果が出ました」とか、「このような方法で指導したらよい結果がでました」なんて事例発表は研究ではないとか・・・

私たち現場で一人一人の成長が異なる子どもたちを相手に日々格闘しているもの達には、この学会の発表は絵に書いた餅みたいでおなかの足し、つまりすぐには役に立たないんですよね。
手っ取り早く、いろんな事例を発表していただき「うん、、これなら私も出来そう」とか「これはちょっと工夫すれば使える」というネタが仕入れられ、かつそれは実行するに値することであるというお墨付きを大学の立派なセンセイにしてもらえることが欲しいのですわ。

指導者も、子どももそれでやる気が起こりますからねえ。現場ってえのはその程度のことでがんばれるんですよ。

私が常々関心があるのは、鉛筆の持ち方、書写継続に於ける疲労度、書写する文字の大きさなどです。

今回、ちょうどよい部会がありましたので参加させていただきました。

残念ながら発表者のツメが甘かったり、事例に対するデータが少なかったりで、あまりこれといった収穫はなかったのですが・・・

でも、質問される先生の中にとても立派な方がいらっしゃいました。(O先生、もっとお聞きしたかったですわ)


 




★書の鑑賞は表具してこそ★  2010.2.22

 某Y大学の書道展の賛助出品で思ったこと。
 例によって、恥ずかしながら一夜漬けの作品。自分の作品は見たくもないが、学生達の作品を見に行けば、嫌でも自分の作品が目に入る。納得がいくまで、いやせめて何日か書き込んでから表具にまわしたい、と思うがいつもぎりぎり。

 で、苦し紛れのレイアウト頼み。表具をしてくださる富岡先生、今では私の思いをしっかりと受け止めてくださり、意に叶った表具にしてくださる。ありがたや、ありがたや。

 ところで、表具というものの価値であるが、現代の人はどのくらい認めているのであろうか?
自分の作品の表具が、本紙とマッチしているかどうか吟味する人がどれほどいるのであろうか。案外、表具店任せである。

 昨年、冷泉家の展覧会を観て思ったことであるが、あれほどの平安・鎌倉時代の歌集が陳列されていたにもかかわらず、これらは古筆としてのアピールをしてこなかった。冷泉家にとっては大切な先祖から受け継いだ“歌集”であって、古筆ではない。そのニュアンスが伝わってくるのか?

 おそらく、一枚ずつ切り離して立派な軸装を施されたり、漆塗り、金蒔絵の箱に収められ、添え状の1枚でも付いていれば、それらはたちまち古筆として変身するのであろう。

 古の人は、鑑賞の場にふさうように、掛け物の表具も吟味している。茶席では場にふさわしいもの、あるいは公家・大名家の宝物として所蔵するならばそれなりのプライドをもった表具であったことが今更のように思われた、『冷泉家展』であった。

 自分の作品の拙さを補うということではなく、作品(本紙)と表具のコラボである、と胸を張って言えるようにならねば・・・

 




★近頃はやりの書道パフォーマンス その3★
                     ☆書道パフォーマンスは根付くか??☆
                                  2010.2.20

 動物園という場、つまり《書道にはふさわしくない場》でのパフォーマンス。
 はたして受け入れられるかどうか? 企画者としては不安と期待でちょっと緊張。何しろ出演者は純真無垢な子どもたち。
 できれば拍手喝采で終わってほしい・・・しかし、会場が・・・
 前半出演の安田大学の学生はパフォーマンスに慣れているようであったが、こっちは初めて。
 子どもたちはやる気満々、なのにギャラリーがそっぽむいて、誰も足を止めてくれなかったら・・・
 考えたくない状況。。

 2月7日(日)晴れ。天気は上々。朝はとても寒かったが、11時ころには気温も上がった。
 第一関門クリア!

 11時半、イベント開催の口上を動物園の竹内さんがしてくださっている間に人垣ができはじめる。
 動物園という場は意外とみんな時間にゆとりをもって来ているのであろう。足早に立ち去る人はほとんどいなかった。

 書き終えた作品は、次の時間まで置きっぱなしにしておいた。青空書道展である。
 これは、わが家の勝ち。 できあがった大学生の作品は、素人にはちょっと読みにくいようだった。
 パフォーマンスの最中は、大学生の達者な筆の使い方にギャラリーは見とれていた。しかし書き終えた作品は漢字仮名交じりで読めるはずなのであるが、あまり読もうとする人はいなかった。良い詩なのに。。。
 平置きであることがまずかったのかもしれない。演出は最後までよく考えねば。

 さて、「書道パフォーマンスは根付くか??」ということであるが。。。
 マンガのようにはゆかないであろう。やはり書は本来、屋内でのもの。過程より結果、のように思う。

 しかし、イベントとして割り切ってしまえば、結構いろいろな企画ができそうな気もする。書く方はドラマの主役と同じ。みんなの注目をあびて書くのは楽しいもの。
  「ドキドキ、ワクワク」の緊張感は子どもたちにはとてもよい経験になったはず。

 まあ、こんなイベントをする仕掛け側は大変です。
 書道塾で毎週同じことばかりやっている根暗系の人間にとっては、イベントなんてものは苦手な人が多いはず。
 個人の書塾では、ちょっとした展覧会すらやっていないのだから。そんなことだから、書道塾も低迷してしまったのでは。
 書道パフォーマンスも、書道の活性化のための企業努力かな? と思うこのごろ。





★わが家の書道展『動物園DE書』★  2010.1.25

 1月23日から2月14日まで広島市安佐動物園内で子どもたちの書道展をする。動物園内にある動物科学館にかなり広い展示スペースがある。そこを一般市民に提供し、さまざまな展示がおこなわれているのであるが、書道展は動物園開設以来とのこと。 たしかに、書道と動物は結びつきにくいかもしれない。しかし、子どもたちは動物園が大好き。たくさんの子どもたちが動物園を訪れる。もちろん一人ではいけないから、当然保護者が付き添う。そこに着目して、書写・書道をアピールしようという桂風庵主の目論見。

動物科学館の一角が会場であるが、かなり広い。大動物の骨や剥製や、大きなパネルやらあるので、半紙のような小作品をちまちま展示したのでは誰も見向きはしない。まずは展示スペースに引きつけること、それが一番の課題であった。動物園で開催する書道なのだから、鑑賞者は「たまたま展示してある書作品も見て帰ろう」というわけである。 「これおもしろいね。楽しそう」と思って見てもらってなんぼのモン。

書道でのイベントならば、かくあるべき、という展覧会のコンセプト。

初日、土曜日は真冬であってもけっこう来園者が多い。屋外は寒いので、暖かい会場に足を運ぶ人は多く、目論見通りこちらの展示にも多数寄ってきてくれたので、一安心でした。

関係者以外が有料であること。出品者も1回は無料だけど、駐車料金やら入場料やらが要るのがちょっと、キビシイ・・・

わが家の展覧会を目的で来た人は只にして欲しいもの。きっとお礼に(必ず動物園内も見るから)「動物園っておもしろいよー」と強く宣伝してくれると思うのですがねえ~、園長さん、どう思います??!!
 




★ 近頃はやりの書道パフォーマンス その2 ★  2010.1.4

「書道パフォーマンスをどう思いますか?」と聞かれたことがある。私は否定派ではない。機会があればやってみたい。しかし、自分は伝統的な書道の学習(臨書)を基本としている。ただし、それはあくまでも自戒のため。作品発表となると話は別。

他者に披露する時は、それなりのアピールがいるでしょ(^0^)

低迷しているときには、活性化対策が必要なのは世の常。

書道って保守的な世界ですから、そのあたりはどうもニガテ見たいですねぇ。威厳を重んじる人が多いのかしら?

ところで、昨日の書道ガールズたちの作品の判定ですが・・・

やっぱり「見た目」の完成度ですかね。そのなかに文字の造形バランスが占める割合はかなり大きい、と思ったのはわが家だけでしょうか。

パフォーマンスは上手い下手ではない、とはいうものの、結局上手な作品が選ばれたように思うのですが。

しかし、このイベントにエントリーできる学校はすばらしい!! 実際にやってみるとわかるが(私の場合は小学生相手なので、せいぜい畳2枚分までではあるが)、とてもとても大変なことである。

このパフォーマンスを決行させた指導者の決断と技量に拍手!!
 




★近頃はやりの書道パフォーマンス その1 ★  2010.1.3

元日早々に書道ガールズたちの「パフォーマンス書道」が放映されていた。ちょうど、家族みんなそろっていたので、感想に耳を傾けていた。一般の人は、このような書道をどのように評価をするか・・・

歌あり、踊りあり、汗と涙のドラマあり・・・一生懸命に取り組む高校生の姿は、なかなか感動的であった。

文化的な活動はどちらかというと地道であり、熱血さが伝わりにくいが、これは体育系に匹敵する華やかさと迫力があり、他者へのアピール度もある。

「大きく書けば良いってものじゃないだろう」という声も聞くが、この活動が書道を活性させるのに一役買うであろうことは、まちがいない。

「今や、書道は日本の文化である」という書道界や書道教育者たちは、衰退してゆく書道に対して何をしたというのか。近ごろようやく、遅ればせながら「何とかしなくちゃ」と、少々あわてているみたい。実質、書道の活性に貢献したのは、武田双雲や英語やひらがなで漢字を作っている書家サン、あるいは路上書家。

話が横にそれたが、書道ガールズの活動を見ていた家族の反応であるが・・・

やはり評価は、書の本質である、文字の構築生、紙面に対する配置などであった。「あの字上手い!!」「全体のバランスがいい!」

パフォーマンスは過程であり、結局できあがった作品が評価の対象であった。もとより、家族はさまざまな書体・書風を知っているわけではないし、自身は楷書しか書けない。 しかし、結構的確な評価をしていた。