書写・書道・教育にもの申す 2011
 


☆やぶにらみ桂風庵今年もヨロシクッ!!☆

その7  鉛筆への配慮
その6  国語力と書写力は違いますねん
その5  表具のチカラ
その4  出口がない書道の学び
その3  鉛筆の良し悪し - 結局はコスト優先か-
その2  書道パフォーマンス
その1  あきらめたらいけん 個人差は最初の間




★鉛筆への配慮★  2011.4.11 久しぶりに“太軸のさんかくえんぴつ”というキーワードでネット検索をしてみた。

幼児や1年生には、軸の太い鉛筆がよいことが、かなり浸透してきたようである。

太軸の鉛筆を出すメーカーが増えてきている。価格も安いものがある。

「持ちやすい」、「書きやすい」という、子どもの目線での文具がようやく普及しはじめた。

よきかな、よきかな。

書壇や巷の書道教室がもうすこし硬筆の書字に対してきちんと対応してくれるとよいのであるが・・・

競書出品で良い成績を取るために、鉛筆を強く握りしめ筆圧をかけなくてはならない子が多い。書道教室離れの一因として、書道教室に行っても、学校での字がきれいにならない、ということがある。残念である。    




★国語力と書写力は違いますねん★  2011.4.11

 年中から“くもん”に通わせているママ。ボクちゃんは字を書くことが嫌いなんですって?

 「書き方教室に通わせたら、“くもん”の教材の字も上手になりますか?」ですって? 

 ボクちゃんにお会いしてみないと、何とも言えませんが・・・
 「すらすら読める=すらすら書ける」は必ずしも成り立ちませんよ。

 あまり器用でもないけれど、早くから字を読めるようになったというので、“くもん”のお教室に行かせたのでしょうか。

 学習教室はどうしても、文字を書かせます。でも、国語の力って、文字にたよらなくても、伸ばす方法はいっぱいあります。無理に書かせなくても良いのに・・・ 

 と、思う一方で、もっとそれぞれの発達に見合った書く力の育て方を、親にわかるように示してあげるべきでしょ。学者センセ!

 と思うのですが、全く誰もそんな本を、出してくれまっしぇ~ん。
 アタシがやらなきゃ誰がやる、なんちゃって。    




★表具のチカラ★  2011.4.11

 額作品は、重くて家で飾るには不適切。お気に入りの作品を軸装にしてもらった。

 きちんと表具された作品は、何度でも表具をしかえることができる。 

 額装から軸装にかえると、周囲の面積が変わるため、かなりイメージチェンジになる。それは、それで楽しみであったが、依頼した表具師嬢はかなり悩んだという。

 先妻の思い出を壊さないように気遣う後妻みたい・・・(今時そんな殊勝なオンナがいれば、ですが)

 どうやら賢い後妻だったようで、先妻以上の存在はあるものの、けっして出しゃばりではない優れものでした。 

 冗談はさておき、飾る場所をきちんと考えて表装した表具師嬢に脱帽。

 ちなみに、表具師嬢は私の教え子で、6年の奉公を終えプロとなった、若手の女性。伝統を踏み外さないけれど、ちょっとモダンな表具です \(^0^)/    




★出口がない書道の学び★  2011.4.11

 各大学の書道学科も新学期。専門的な学びが始まったであろう。

 某新設書道学科も、多くの学生を受け容れてスタートした。入学生は何を期待して此処に来たのであろうか。受け容れた大学は、このご時世に何を身につけて送り出すというのか? 

 ほとんどの学生が、この4年間で身につけた技量を活かすことなく社会人となる。学年が上がるほどに、現実を知り、それが、書作品に表れてくる学生がいる。手書きの世界にどっぷりとつかり、パソコンも十分使いこなせない学生達・・・(レポートを手書きで提出するような学生がいるのは、きょう日、書道学科くらいじゃないのかしらん)

 「何をめざしてこの学部で学ぶのか」と自らに問うこともなく、カリキュラムにしたがって文字を書いている学生達・・・

筆で書くことが面白くて、それを続けたくて、漠然とやってきた彼女たちは、学び続ける意義を見失ってしまう。心地よい場所でなくなったとき、書く気力も失せる。 

30年以上前ではあるが、私もそうであった。しかし、大量な時間とお金を費やして学生生活を送ったのだから、何とかこれで社会に役立ちたいと思った。大して上手くもない私であったので、半分意地のようなものであったが、こうして今がある。 

待っていては何もしてもらえない。活かすも捨てるも自分次第。先生にほめられるよい子でいることよりは、今必要とする書道は何かをしっかりと考えて欲しい。     




★鉛筆の良し悪し - 結局はコスト優先か-★  2011.2.15

 ステッドラーの鉛筆は握りやすい。軸の塗装液が滑りにくい性質なのである。特殊な加工であるからであろう、値段は高い。しかし、幼児が初めて使用する鉛筆としてはとても具合がよい。

 210円と高くても、その価値があると思い購入していた。

 この鉛筆が、幼児期のオススメ文具として新聞に掲載されて程なく、この会社から、新聞記事の発言者である私の所に電話がきた。「どんなところを改善すると良いですか?」という言い方であるので、「値段が高すぎる」と答えておいた。

 翌年、30円値上がりしていた。その上、芯が折れやすい・軸木の質が悪いなど、粗悪品が多くなった。

 また最近は、鉛筆の軸の塗料の色は同じであるが、滑りやすい塗料の類似品も出現。間違えて購入する人もあるはず。これは日本製の三角えんぴつと同質。輸入代金分だけ高い。デザインのみを同じにして、値段をちょっとだけ元の物より安くするという手口は、消費者を騙しているとしか思えない。(怒)

  




★書道パフォーマンス★  2011.1.9

 今年も元旦から某テレビ局でやっていた。もう6回にもなるようだ。

 元旦の朝なので、この数年家族で見ている。というより、食事時のため家族は見ることを余儀なくさせられているのであるが、見慣れてくるとそれぞれが評論家になってきている。

確かに、書くプロセスを見るのはおもしろい。音楽のようなライブ感覚での視点は、書道にはこれまでになかった。

音楽でのライブは終了時には音は消え、共に時間を過ごした感動のみが残る。しかし、書道は書いた作品が残り、ライブ終了後にはそれが視覚的な主張をし始める。

パフォーマンスも、回数を重ねると観客のレベルが上がる。作品の完成度が低いと物足らなくなるのである。「一生懸命にがんばりました」という書き手のことばが、下手な役者の弁に聞こえる。スポーツのような必死さからくる緊張感がなく、お祭り騒ぎになるのは個人的には賛成ではない。

最初ほどの感動がなくなり、中途半端なイベントに見えてきた。

 とはいうものの、来週は地元でその、パフォーマンス書道を企画しているわけで…

 




★あきらめたらいけん 個人差は最初の間★  2010.12.15

 わが家に来ている一年生。叱ってもめげないのが取り得。
 「話を聞きなさい!」「きちんと座ってから書き始めなさい!」「ゆっくり書きなさい!」「しゃべりはそのくらいで、手を動かす!!」
 4月から、何度言ったことであろう。

 「あんたなんか嫌い! 書き方も大ッ嫌い!」「オニ塩出、くそばばあ!」「ハイハイ、わかったから、書きなさい」(クソガキめ!!)

 どの子もそれぞれに文字を書く条件がちょっとずつ足りないだけ。(だからわが家に来ているのであるが)でも、子どもらしくてとてもよい子達である。

 ただし、一筋縄ではいかない。私もムキになってしまうから、指導が終わるとぐったり・・・何度「もうやめたい、来月はやめます、と言おう」と思ったか。

 それが、このところ、急にきちんと書けるようになった。
 言うことが理解でき、達成感が得られるようになったからであろう。鉛筆が滑らかに動いているので、集中力も出てきた。仲間の出来不出来が気になるようで、競争心も出てきた。

 「辛抱した甲斐があった」と、一安心しているのは、私ではなく親。

 私の、きびしい時間指定にもへこたれず、きちんと送り迎えをした母親に金メダル!!
 長い目で見れば、こんな時間たいした苦労ではないが、そうそうできることでもない