watasino shodoukann



『私の書道への思い』


言いたい放題でスミマセン・・・

【その5】いま流行の"癒し系" 日比野五鳳
【その4】西行さん 大好き!
【その3】「わだばゴッホになる」
【その2】井原思斉と文人墨客展
【その1】西本願寺本三十六人集


いま流行の"癒し系" 日比野五鳳

こころよき疲れかな

荒城の月"春"
書壇、流派を超えて愛される“五鳳翁”の魅力

「こころよき疲れなるかな」は、 「疲」「後」がちょっと読みにくいけれど何となくホッとする字形ではありませんか? 五鳳先生は当時、決して今流行の「読める書」を書こう、 という意識ではお書きになってはいなかったと思います。 けれどこうして改めて鑑賞しますと、ちょっと教養のある人ならば、 じゅうぶん「読める書」なのです。「荒城の月」のほうは、 この写真では少しわかりにくいですが、「これは有名な”荒城の月”ですよ」 とアドバイスをもらえれば、自然に読めてしまいます。 そして読んだあとで何だかあったかい気持ちになれる書です。

五鳳先生の書は、書の学習が深まるほどに鑑賞後の感動も大きくなります。 でもそれ以上に、心にあたたかさを与えてくれます。 先生の書をけなす人を私は知りません。 念のために申しあげておきますが、私は"水穂会"の所属ではありませんよ。(笑)

西行さん 大好き!
 
 初めに歌ありき? 和歌あっての書です。

写真は西行の歌集「山家心中集」の最初のページです。 最初の漢字の部分は西行と仲良しの藤原俊成の字です。 歌の方は西行自身が書いたかもしれない、とも言われていますが、 本当のところは明らかにされていません。 けれど、西行と俊成と定家の間には和歌を通じての交流はあったようで、 同時代の筆跡として並べられることが多いようです。
西行さんのうたはまことに天真爛漫、すなおで人の心を捉えます。 そして、その筆跡は西行自身のものではなくとも歌にふさわしい美しいものです。  数々の平安歌集はその歌のすばらしさに劣らない筆跡で書写されています。 中と外がちぐはぐでは熱い思いが伝わりません。書を志す現代の私たちも、 歌もしっかり理解して、それにふさわしい表現をしたいものです。



「わだばゴッホになる」

-棟方志功展- 2003.1.3〜2.9 棟方志功が版画の道に進むきっかけとなった川上澄生の作品

「玄妙」の文字は棟方志功の愛用したことばの1つで、奥深く微妙なという意味。


やっぱ「熱い思い」でしょ。

 棟方志功の作品は昔から好きでしたが、久々に大量の作品をゆっくりと鑑賞できて、 これまで以上に感動を覚えた。版画にかける情熱というか執念ともいえる志功の気迫に、 本音であやかりたいと思った。いかに天性の才能があっても、 ここまでの思いがなければ芸術作品はできない。

つまらないことでやる気をなくしてしまうようではだめだ。 たとえ、どんなにちっぽけな器でも、それなりに「熱い思い」をもって制作に励まなくては、 とわたしの心に勇気を与えてくれた展覧会でした。

偉大な作品はいろいろなことを語りかけるものだと思う。
筆匠井原思斉と文人墨客展
平成15年4月16日(水)−5月18日(日)
於:筆の里工房
春名好重先生は御年93歳! 春名センセがおっしゃるには、

”じょうずな書は世間にたくさんある。しかし、たいてい古人の書の模倣あるいは現代の他人の模倣が多い。 いくらじょうずでも、模倣の書には魅力がない。思斉さんの書は巧拙を超越している。すなおに書いて、 穏やかで、あかるくて、あたたかくて、魅力がある。…中略…思斉さんは書のじょうずな人であったが、 常に「しろうと」といっていた。また「作品」とはいわないで「手しごと」といっていた。 しろうとよりくろうとがすぐれているとはいえない。 古代・中世には書のくろうとである書家はいなかった。 嵯峨天皇・空海・橘逸成の三筆も、小野道風・藤原佐理・藤原行成の三蹟もくろうとではなく しろうとであった。しかしくろうとよりはるかにすぐれたしろうとであった。”と。


たしかに、古代・中世はそうかも知れない。思斉さんは筆匠としてのプロであって、 書家という意識は必要なかったわけです。では、書家というジャンルが確立され、 それを生業にしている現代の書家は何をアピールしたら良いのでしょうか。 書道の技術を教授することがどのような社会貢献をしているのだろうか。
今日筆文字が社会で果たす役割とは何であるかという、社会的な存在価値をきちんと見据えておかねば、 いずれ社会から見放される、という漠然とした不安が胸をかすめる。

春名先生に反論できない今の自分が悲しい。
西本願寺本三十六人集2003.3.25〜5.5

「う〜ん、感動したッ!!」




本物は恐ろしい!
私を二回も東京に呼び寄せた。


予想していた以上に保存状態が良かった。今からおよそ900年前のものとはとても思われなかった。 これらの冊子の料紙の見事さについての解説は読みつくしてきたはずの私であったが、 至近距離で対峙して圧倒されてしまった。 分断され見事な表装を施された石山切もずいぶんと見て歩いたが、冊子のボリュームの迫力には追いつかない。 よほどの慶事に献上された物であろうということは歴史資料にあたらなくとも想像できる。 天承三年(1112)白河法皇六十賀の贈り物として制作されたといわれているが、この冊子を見ていると、 逆に、法皇のお祝いがいかに派手に行われたかが想像できる。

大口周魚は明治29年に西本願寺の書物の調査中にこれを発見したという。 今回、ガラス越しに見ただけでもこんなに感動したのであるから、発見当時は、 私の何十倍も興奮したに違いない。田中親美翁が命がけで模本を作られたのも納得ができる。 親美翁の複製本もすばらしかった。

これらの冊子は美術的価値、書道的価値、国文的価値とさまざまな評価があるが、それはさておき、 この超一級品の醸し出すオーラは、一瞬の間平安時代にタイムスリップさせる。 その不思議な感覚が、私をもう一度会場に呼び寄せたのであろう。